トレンドに寄り添う「生きた文化」で
あり続けることで文化をつなぐ
インドや欧州と貿易をなすのに絶好の立地であったこの場所へ、15世紀後半、漢民族が移住をしてきた。彼らと現地のマレー民族の女性が結婚し、誕生した子どものことを「プラナカン(その地の子)」と呼ぶ。
貿易によって経済が潤い、プラナカンの多くは豪商となり、豪華絢爛な文化を築いていく。その一つが、プラナカンビーズ刺繍だ。中国刺繍やクロスステッチなどの技術が伝えられていたところに、ヨーロッパから極小ビーズがもたらされ、ビーズで刺繍を施したシューズやハンカチ、ポーチなどが作られるように。これらはプラナカン家庭の子女の花嫁修行の一つとされ、輿入れが決まった女性はビーズ細工を作り、婚家へと持っていった。
現在のシンガポールには純粋なプラナカンの人口が限られているうえ、嫁入り道具を自作する必要はもはやない。また高収入の職業人気に押され、プラナカンビーズ刺繍職人を目指す者は少なく、後継者不足に陥っている。
こうしたなか、伝統文化の継承に力を注いでいるのが、プラナカン雑貨店〈Kim Choo〉でビーズ細工製作を行う職人、レイモンド・ウォンだ。
「昨今は、プラナカンビーズ細工はシューズにおいてしか見られなくなってしまいました。プラナカンビーズ刺繍をメインストリームに上げるには、若いデザイナーが好む新しいデザインとはどのようなものか、それをプラナカンビーズ刺繍で立体化させることはできないか、といったことを考える必要があると思っています」とレイモンド。
そこで彼は国立遺産局が主導するプロジェクト「CRAFT×DESIGN」に参加し、若手デザイナーが手がけたデジタルプリントのバティック(インドネシア、マレーシアなどアジア地域のろうけつ染めの布)ガウンにビーズを施した作品を発表するといった活動を行っている。
「文化を次世代につなぐには、その文化が『生きている』必要があります。今の人たちがどんなものを求めているかを理解し、トレンドに即したものを生み出すべきなのです。そもそもプラナカンビーズ刺繍の文化は、それぞれに個性も歴史もあった各国のものを混ぜてできています。この先も、形を変容させながらプラナカンビーズ刺繍の文化は残っていくと信じています」とレイモンドは結んだ。