難民は就労禁止!補助も限定的な中、コミュニティ空間が大きな役割を果たす
元を辿れば現在の香港の基盤になったのが、1950年前後に文化大革命での迫害を逃れて英国領だった香港に渡った100万人以上の難民だった。しかし現在の難民政策は、UNHCR難民条約に批准せず、一貫して厳格な姿勢を貫いている。
約1万4000人いる難民には就労が許されず、公的な補助は圧倒的に足りない。たとえば東京のほぼ倍といわれる高家賃の香港で、家賃補助は月1500香港ドル(約2万7000円)。これは一般的なワンルームの賃料の最低ラインが7000香港ドル程度であることを鑑みると、明らかに少ない。食費は特定のスーパーの商品券1200香港ドル、光熱費は300香港ドル、交通費は200香港ドルのみ。かといって他国への移動が承認されるのは1%程度で、そのための待機期間は10年以上が当たり前と、難民にとっての八方塞がりが常態化してしまっている。
そんななか2014年に難民たち自身によって開設された〈Refugee Union〉は、NGOなどの支援団体の助けを借りて、都心の古いビル内に事務所を構え、難民同士が触れ合うコミュニティ空間を提供している。開設にも関わった在香港13年というアフリカ系の女性は、無実の市民への拷問や処刑が当たり前だった祖国から香港へ。「就労できない状況の中では、民間の寄付に頼るしかない。一番辛いのは、自分のような大人はもちろん、子供たちが将来への希望を持てないこと」という言葉には鉛のような重みがある。
かつてはユニオンの難民と支援者が地位改善のためのデモ活動を行い、高校卒業までの公的支援につながったなどの成果もあった。だが残念ながら国家安全法の施行以来、政治活動はできなくなってしまったという。さらには難民個人も〈Refugee Union〉も銀行口座が持てず、交通費も限られているため、寄付や支援品はこの場所が唯一の受け取り場所となる。冷房が効いた快適な空間で、難民同士が日々集うことができる貴重な場でもあるのだ。
こういった状況下でも、ボランティアや支援団体によるコンピューター技術のワークショップにより、難民の状況を啓蒙するためのパンフレットやオンラインマガジンを自主制作できるようになったという前向きなニュースも。高校生のボランティアが、難民の子供たちにダンスや英語を教えるなど、ふれ合いの機会も設けられている。
特に有用な物資があるかを前述の女性に尋ねたところ、「家具以外のものは、状態が良いものであれば何でも助かる」とのこと。彼らを取り巻く状況が少しでも改善されることを願うしかない。