海、山、川の豊かな自然
遠藤周作『沈黙』の舞台
「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」
出津文化村のバス停からすぐ、五島灘の海を見下ろす坂の途中にある「沈黙の碑」には、そう刻まれている。小説『沈黙』で知られる作家・遠藤周作の文学碑だ。
自身もカトリックの洗礼を受け、生涯をかけて「日本人の心に合うキリスト教」を求めた遠藤の原点と目される小説『沈黙』の舞台となったのが、ここ外海地区。
彼と外海地区との縁は同作の執筆前から始まり、この地を「神様が僕のためにとっておいてくれた場所」という言葉を残すほどとても気に入っていたそう。没後4年の2000年には五島灘に沈む美しい夕日を望む断崖の上に〈遠藤周作文学館〉が建てられた。
館内では、遺族から寄贈・寄託された約3万点に及ぶ遺品、貴重な生原稿、蔵書などを展示。遠藤の誕生から晩年までの歩みを年表で紹介するほか、定期的に企画展も開催している。
文学館はほぼ真西の海に向かって建てられており、テラスの眼前に広がる海の向こうには遥かポルトガルの地を望み、海に沈む夕日を切り取る小さな出窓は、苦しみの中で決して信仰を捨てなかった当時のキリシタンたちの苦悩を映し出すよう。
遠藤の作品世界とともに、知られざる遠藤周作という人間そのものに深く触れることができる静かで美しい文学館だ。
文学館のエントランスホールに輝く爽やかなブルーのステンドグラス。光を受けて輝く外海の海をイメージしたそう。
本人が使っていた実際の机や執筆道具などで再現された書斎。鉛筆は4Bか2Bを好んで使ったそう。
併設された「思索空間アンシャンテ」では、遠藤作品を自由に読むことができる。広大な海を眺めながら静かに思索に耽るのも良い。
陸の孤島に希望と信仰の種を蒔いた
慈愛に満ちたド・ロ神父
この町の人々が今も親しみを込めて「ド・ロさま」と呼ぶのが、1879年にこの地方に赴任したフランス人宣教師マルコ・マリ・ド・ロ神父だ。この地域の人々の困窮した生活を目の当たりにし、「出津の人々を貧しい生活から救いたい」と、1883年に女性の自立支援のための作業場として旧出津救助院を設立。
仕事を持たない娘たちを集めて、織物や縫物、食品加工などの技術を教え、人々の生活向上や拠点としてさまざまな活動が行われた。マカロニやパンを製造し外国人居留地に住む外国人向けに、そうめんや醤油は内地向けに製造し、販売。こうした活動は、「自立」という初めての未来を自ら手にした娘たちの大きな希望となったことだろう。
農業、建築、医学、産業などフランスで幅広い知見を身につけていたド・ロ神父は、1882年から自ら図面を引いた出津教会堂の建造にも着手している。ド・ロ神父と信徒が共同作業で建てられたこの教会堂は、出津の地のどこからでも眺められるようにと高台に位置し、信仰のシンボルとして人々に愛されるようになる。
「シンボルと言われる出津教会堂ですが、訪れるとその質素な佇まいに驚かれるかもしれません。幼い頃は私も、どうしてうちらの教会はこんなに殺風景なんだろうと、隣町の大野教会堂を羨ましく思ったこともありました。ですが、この質素な造りこそ、ド・ロさまの愛だと思うのです。当時の出津の信徒はとても貧しい生活でした。だから後々になり人々が修繕費で苦労しませんようにと、ド・ロさまは質素でも海風にも負けない頑丈さを優先されたのだと思います」
中を案内してくれた地元の信徒の方がそう話してくれた。フランスの由緒ある貴族の次男として生まれたド・ロさまは、施設建設や事業のために私財を惜しみなく投じたという。
静かな祈りに包まれた
坂道とド・ロ壁の町
町並みを守るように積み上げられた高い石壁は、町の人が「ド・ロ壁」と呼んで100年前から大切にしている壁だ。海から吹き上げる強風に負けないようにと、赤土を水に溶かして石灰と砂をこね合わせたもので接合し、地元の自然石を不規則に積み重ねたド・ロさま考案の丈夫な壁だ。
細く長く続く石畳の坂道。角を曲がるまで先が見通せないこの町の地形は、厳しい弾圧下で密かに信仰を続け、先の見えない日々をひっそりと生き抜いたかつての潜伏キリシタンたちの慎ましくも強い心の風景を表しているかのよう。
1873年、2世紀半もの長きにわたる禁教令が廃止され、潜伏キリシタンは段階的にカトリックへと復帰。そのシンボルとして集落を望む高台に建てられたのが出津教会堂だ。時より落ちてくる冷たい雨と、垂れ込める雲の隙間から差す光の中に、静かな祈りが響いているようだった。