沖縄を拠点に活躍する、新世代のアートピース
2021年、東京都写真美術館で個展『山城知佳子 リフレーミング』を成功させた映像作家の山城知佳子は、沖縄に生まれ育ち、自らの出自や身体性に根ざしながら、沖縄の歴史や基地問題を見つめてきた。現在、東京藝術大学の美術学部先端芸術表現科で教えながら創作を行う彼女に、沖縄を拠点に活動する80年代〜90年代生まれのアーティストたちを紹介してもらう。まずは1991年生まれの写真作家・寺田健人だ。
「寺田さんの両親は本土出身ですが、彼自身は沖縄生まれ、沖縄育ちです。昨年、横浜のBankART KAIKOで行った個展『想像上の妻と娘にケーキを買って帰る』は、多様性が訴えられている今なお、“理想”とされている両親と子供のいる家族像を、ステージド・フォトグラフィという手法で見せた作品です。こう言うと、社会派なイメージを持たれるかもしれませんが、彼の作品はどこまでもポップで洒脱なんですよね。
次回作では、沖縄に今なお残る戦争の傷痕をテーマにします。島中に残る弾痕を撮り、写真の穴部分を実際に穿(うが)ち、そこに溶かした薬莢(やっきょう)を注ぐ。沖縄戦の生々しさと、現在進行形の沖縄の苦しみが重ね合わされていますが、モノクロ写真に鈍く光る金色の薬莢が印象的です。彼の発想の独創性には、いつも唸らされます」
福島県出身で、現在沖縄で活動する彫刻家・丹治りえのインスタレーション作品にも注目だという。1983年生まれの彼女は、沖縄県立芸術大学大学院で彫刻を学び、現在も沖縄に暮らしながら創作を続けている。
「故郷である福島と向き合った昨年の個展『仮設|部分』が代表作ですね。震災で倒壊した住宅の、むき出しになった内装インテリアの骨格を想起させるインスタレーション作品です。私たちの記憶や生活が、いかに脆いものなのかを突きつける鮮烈な作品でした」
8月11日から始まる個展『みおぼえのある風景』で丹治は、彼女自身の記憶を扱うという。丹治が幼少期を過ごした家の台所を、アルバム写真を基に再現。蘇った台所をさらに写真に撮り、壁紙にして展示するそうだ。
「構想を聞いたのですが、その再現の仕方には、素材にも表現形式にも特異な趣があります。食器の一部は米軍基地横にある通称ベトナム通りのフリーマーケットなどで集め、それらを使って台所を再現するそうなんです。そうすることで、丹治さんの記憶だけでなく、福島と沖縄の歴史も折り重なる。時代も場所もバラバラの記憶が接合された複雑な空間をアトリエに造作し、それを撮った写真を壁紙にする。さらにその壁紙を貼った仮設の壁を立てる。記憶の層を積み重ね、別次元が立ち上る作品になるでしょうね」
寺田や丹治が社会的テーマと向き合う一方で、松尾海彦は「魚」というモチーフにこだわり続けている。海と釣りをこよなく愛する彼の専門は日本画だ。
「1989年生まれの海彦くんには、ミリ単位で鱗を描くその緻密な筆致に驚かされます。巨大なパネルに描かれたネコザメの絵は制作に1年かかったそうです。直接的に思考や心情を作品に反映させることはありませんが、細やかな描線に祈りのようなものを感じます」
第67回岸田國士戯曲賞の最終候補作『ライカムで待っとく』を書き下ろした兼島拓也は、1989年生まれ。アメリカ統治下で起こった、沖縄人による米兵の殺人というセンシティブな事件を現代につながる問題として描いた。
「昨年は本土復帰50周年に関連した演劇が多く上演されましたが、私が観た中で最もアクチュアリティがあったのが本作でした。沖縄戦から続くウチナーンチュ(沖縄人)の苦しみを丹念に描いていたんです。あらすじは東京で雑誌記者として働く主人公の浅野が、妻・知華の祖父の葬儀で沖縄へ向かった折、同僚に頼まれて64年に起きた米兵殺傷事件を取材するというもの。私は東京出身の記者である浅野に、一人の表現者として共感しました。浅野は沖縄について記事でどう伝えるべきか苦悩しますが、それは兼島さんの苦悩でもある。基地問題の当事者は、当地の住民だけと思われがちですが、本当は日本に住む誰もが当事者のはず。兼島さんは“伝える”という立場からその問題に向き合い、当事者性について迷いながら深く思考します。当事者/非当事者を分断させない表現を、ユーモラスに描く筆力は圧巻でした」
日本の最西端に位置する与那国島には注目の映画作家がいる。1997年生まれの東盛あいかは、初監督作品『ばちらぬん』で、ぴあフィルムフェスティバルのグランプリを受賞した。
「与那国の日常や文化を描いた本作は、風俗資料としても貴重です。若い作家ですが、自分の生まれた島の歴史を大切に思っていることが伝わりますね」
山城は「沖縄の作家の問題意識は、復帰から半世紀経っても変わらない」と語った。世代を超えてバトンをつなぐアーティストたちの表現を見つめながら、沖縄について考えてみてほしい。