いつからか音楽を仕事にしたいと思っていた。高校で現メンバーの橋本翼さんと前身となるバンドを始め、大学時代には荒内佑さんも加わり、すでにcero(セロ)の原型ができていた。
「大学を卒業する時も、特に就職活動はしませんでした。漠然と、あと2〜3年やるなかで何かきっかけさえあれば、いずれ音楽でやっていけるだろうみたいな確信がありました」
幼少期、『COMIC CUE』でサブカル的目覚めを得た髙城晶平さん。漫画家になりたくて文房具をねだっていた少年を音楽の道に推し進めたのは、レコードを買い集めていた両親の影響も大きかっただろう。近所の「八百屋の兄ちゃん」の口利きで12万円に値切ってもらったアコギを分割で買った。マクドナルドやコンビニのバイトで貯めた金だった。
「家にレコードがたくさんあったから、音楽って自分でお金を出して買うものだとは思っていませんでした。初めて買ったのはGLAYのベスト盤『REVIEW』でしたね。それも聴きたかったというより、みんな買ってるし、自分も初めてCDでも買ってみるかな、みたいな感じで(笑)」
大学生になってからの、一人暮らしをしながらのバンド活動はなかなか苦しい。親からの3万円の仕送りでは到底やっていけない。三鷹の実家までお金を借りに行く電車賃すら工面できず、友達に500円借りて、三鷹に帰ったこともあった。
「当時、母親に“貧すれば鈍する”ということをよく言われました。もの作りをする上でも、最低限のお金がないと思いつくものも思いつかない。鈍感にならない程度にお金は持っていた方がいいって。でも僕はジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』を観て“金は必要だけど重要じゃない”ってセリフをメモしたりしていました。
大学3年で所沢から阿佐谷の風呂なしトイレ共同のアパートに越して、そこで4年間は過ごしましたね。外でライブをしても1回3万円とかのノルマを払わされて。お金がかかったわりにはライブハウスの人に、あまりよくなかったからもっとこうしたら、とか言われたりして。キツいなぁ、なんか意味あるのかなって」
それでもceroは、変わらずに音楽の衝動に突き動かされていた。
やりたい音楽を提示しつつ、
好きな楽器を買えれば十分
ノルマのないところで、自分たちの手で自分たちの場を作ることを考えだしたのは、大学を出てからだ。
「時を同じくして周りの仲のいいミュージシャンもそういう活動をし始めた。ceroも自分たちが理想とするものに手が届いているような状況が生まれていたから、焦りはそれほどありませんでした。あとは誰かが気づくだけだよなと。楽観視しているところはありましたね。
卒業後、今は亡き実の父親が、本当に音楽でやっていく決意があるなら知り合いに片っ端から連絡するからって。それをきっかけに音源が巡り巡って、鈴木慶一さんの耳に留まり、まだ何者にもなっていないバンドと、いきなりレコーディングをしてくれた」
この時、鈴木さんとレコーディングした名刺代わりのCD-Rが現在の所属レーベル〈カクバリズム〉に届き、初めて世の中に流通するアルバムを発表したのは26歳の時だった。
「その頃、僕は両親の店〈Roji〉のバイトなどで普通に生活を送るには問題ないくらいの基盤もできていたんですけど、メンバーの荒内くんはしょっちゅう寝坊してバイトをクビになったりしてお金がなくて、バンド内で貧富の差が生まれていました。
僕はライブ前にスパゲッティ頼んだりできるようになっていて、食べながらほかのバンドをぼーっと観てたんですけど、その間に荒内くんにめっちゃスパゲッティ食われてたんですよ(笑)。それが1stの前後だったから、今思えば当時はまだ全然抜け出してなかったんだなって」
いきなりパーンと突き抜ける瞬間はなかったが、1st、2nd、3rdと発表するたびに聴いてくれる人が緩やかに増え、気がつけばいつの間にか少しずつ貯金ができてきていた。
「アルバムを出す前は、これでいきなりお金が入ってきたら俺たちはホントに成功者だから乾杯しようぜ!って言ってたんだけど、グラデーションすぎて結局そういうタイミングもなくて(笑)。
でも、そもそもメイクマネーするために音楽をやるって始まりでなかったので、自分たちが提示したいものを提示できて、その上で好きな楽器を買えるくらいにペイできればいいかなと。億万長者になってやる!って言ってバンド始める人は少ないんじゃないかな」
お金と暮らしの変遷
19歳:cero結成。風呂なしアパートで貧困バンド活動。 ▼down
21歳:両親が開いたバー〈Roji〉でアルバイトを始める。 ▲up
22歳:ムーンライダーズ鈴木慶一のプロデュースを受ける。 ▲up
26歳:1stアルバム『WORLD RECORD』を発売! ▲up
33歳:アルバムを出すごとにジワジワと売り上げている。 ▲up