前作からの5年間、メンバーそれぞれが充実したソロアルバムを発表。自身もShohei Takagi Parallela Botanica名義で『Triptych』をリリースした髙城晶平はこう話す。
「ソロを出してから3人で集まることがまた新鮮になったんですよ。コロナで仕事がいったん中断になって、会う機会も少なくなったけど、久々に集まると話すこともたくさんあるし、単純に楽しくて。それで、最初は3人で集まってお互いにアイデアを出すところから始めました」
吉祥寺のマンションに制作環境を整えると、バンドを始めた頃のように3人で集まりながら制作を進めていった。
「もともと橋本(翼)ちゃんが住んでいた部屋だったんですよ。“3人で集まれる場所があるといいよね”という話をしていたら、橋本ちゃんが“あの部屋、まだ使えるよ”と言いだして。まさかの西東京リターンズ(笑)」
吉祥寺は初期のceroにとってホームともいえる町。新作にはそんな吉祥寺からの影響も反映されている。
「そのマンションが吉祥寺駅の近くで、電車の線路からもそう離れてないんですよ。録音していると電車が走る音がマイクにもガンガン入ってくる。だから、曲によっては電車の音も入ってます。そういう環境の影響は僕の歌にもあると思います。スタジオでみんなで録っていたらもっと外向きな声になると思うけど、マンションの一室で録っているので、そんな大きい声は出せない。どちらかというとささやきみたいな感じで、それがそのまま曲に生かされてるんです」
人の作品を聴いている感じ
作り方としてはとにかく議論を重ね、アイデアを出し合うというベーシックな方法。髙城は「一人でやったら1日で済みそうなことに何日もかけて。効率は悪いけど、その方が思いも寄らない方向性になって面白かったんですよ」と話す。
また、これまでの作品はテーマやコンセプトを立て、それを基に曲を固めていくというやり方だったが、今回はあえてそれらを立てず、どこに向かっていくかわからないまま制作を進めていったという。髙城はプレス用資料に「これが何なのか、正直なところ、自分でも未だによくわかっていない」というコメントを寄せているが、「こういう感覚は初めてかもしれないですね」と話す。
「だから、人のアルバムを聴いているみたいな感じ。アルバムが完成したというより、この形に“逢着した”という表現が一番しっくりくるんですよ。それまでの作品には何かでかいものを打ち立ててやろうという野望みたいなものがあったんですよね。そのためにはコンセプトやテーマみたいな大きな設計図が必要だったし、“今までにない音楽を日本語で作ろう”という気負いもあった。
でも、僕らも年齢を重ねてきて、そういう情熱も変質してきたんです。これからはただただ3人で集まれることの尊さを噛み締めながらやっていこうと(笑)。でもまあ、遊んでるような感じだったんですよ、今回は」
確かに新作『e o』は気負いがないアルバムだ。その意味では等身大の作品ではあるものの、そもそも既成のスタイルにとらわれない音楽家3人だけあって、出来上がったものは決して一筋縄ではいかない。
「ceroの特性の一つにアイロニーがあると思うんですね。天の邪鬼で、常にオルタナティブを提案していこうというスタンス。ハイハットってずっと刻まないといけないのか?リズムやベースはボトムを担わせるだけのものなのか?と疑っていくうちに、だんだん奇妙な静けさが表れてきた。
ベン・フォールズ・ファイヴの『ラインホルト・メスナーの肖像』(1999年)っていう美しいけどどこか空虚なアルバムがあるんですけど、制作の途中であのトーンにしたいなと思い始めて。コンセプトじゃなくて、あくまでも温度感のリファレンスにしました」
ceroが目指しているものとは。髙城は最後にこう語った。
「ceroはファインアートだと思うんですよ。小難しいものでもなければ、ポップアートみたいにはっちゃけてるわけでもない。ただ、風通しはいい。ファインアートみたいなポップソングを求めてる気がするんですよ、ceroは」