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文学から現代の“ケア”を考える『ケアする惑星』。著者の小川公代に聞く

パンデミックを契機に注目された「ケア」というワード。世話や対処を意味するもので、医療従事者や介護福祉士など社会に欠かせない仕事・ケア労働に従事する人たちの過酷な労働環境や多大なリスクがたびたび報道されたことで、話題となった。英文学者である小川公代は新刊『ケアする惑星』で、古今東西の文学作品を起点に「ケア」をめぐる現代の事象について論じた。ネガティブな文脈で用いられることもあるこの言葉を改めて語ることに、切迫感を持って向き合ったと小川は話す。

photo: Rena Shimada (portrait), Hikari Koki (book) / text: Yoko Hasada

ないがしろにされている声に、耳を傾ける

「日本では悲しいことに、育児、介護、看護など私的・公的な場面を問わずケアの価値がないがしろにされ、自分のことは自分でするという”自助”思想が広がっています。“セルフケア”や“主体性”などと言葉が美化され、中でも“ケア”は最も都合よく使われていると感じていました。

ケアは生活を支える重要な仕事なのに、当然のこととして扱われ、個々人で責任を負う形になっている。それは各人の経済状況などを無視した特権的な思想で、公助に頼らざるを得ない大勢の人たちを見過ごしてしまいます。個人の問題に押し込められてしまう前に、社会の問題としてケアのあり方を考えるべきではないか、と声を上げるためにこの本を書きました。世界的な危機を迎える今、その考えは国境を超え、惑星的な広い視点が必要です。そのために海外文学から日本文学まで、幅広い作品を扱うことを意識しました」

研究書に限らず、小説など文学作品からも考察しているのが本書の特徴。中でも、小川が大きなインスピレーションを受けた作家が2人。ケアの倫理の提唱者である米国の心理学者キャロル・ギリガンと、近年再評価が高まっている20世紀前半の英国の作家ヴァージニア・ウルフだ。

「ケアは相手を思いやるばかりで主体的に生きられず、“自己犠牲的”だと批判的に捉えられることもありますが、ギリガンは肯定的に見ていました。他者の声に注意を払い、共感することができるケア精神は、様々な場面で他者との結びつきが必要な共存社会において“強み”になると論じました。

ギリガンの思想のルーツにあたる人物が、ウルフです。ウルフは個別化された自己を否定的に描き、他者の気持ちを汲んで葛藤を抱える主人公を数多く描きました。おそらく、自身もセクシュアルマイノリティであり精神疾患もあったことから、あらゆる属性の人に目を向けることができたのだと思います。そこには、ケアする側とされる側の物語が交錯し、他人も労りながら自分も大事にするという多面的なケアのあり方が示されていました。

また、彼女は戦争の渦中にあり、スペイン風邪の流行など不穏になっていく世界を生きました。まさに現代に通ずる体験をし、その時代の反省を執筆した人。だからこそたっぷり論じたいと思っていました」

文学は、想像を促すために

東京オリンピックやこども家庭庁など現代の事象と文学作品を結びつけながら、1年以上かけて考察。見えてきた「ケア」の根底にあるもの、それは想像力ではないかと話す。

「“気遣う(care for)”と“気にかける(care about)”という言葉があります。前者は直接的に世話すること。後者は必ずしも具体的なケアは実践せず、“家族のためにどれだけ稼いでくるか”などとケアへの思いを金銭などで補完している。どちらも尊い行為ですが、女性が担いがちなcare forの能力への評価は低いままです。一目瞭然なのはケア労働者の処遇ですよね。それは、人の世話は誰でもできるだろう、という考えが浸透してしまっているからだと思います。

しかし、重労働から体を痛めたりひどい言葉を浴びたり、大変な目に遭うことも。また、相手が何を求めているのか察知し、辛さや痛みに寄り添って手助けするというのは実は非常に難しく、知力・体力を総動員する高度な能力です。ケアに従事する人々への感謝とともに、生きやすい社会を作らなければならない。そのためには、一人一人が想像力を働かせて、見えなくされている存在の声に耳を傾けること。そこから、見えない労働の存在と価値を明らかにすることが重要です。その想像力を鍛えるために文学があるのだと思います」

“いつか地球が〈ケアする惑星〉の名にふさわしい場所になることがあれば、それはケアする人が大切にされるときだろうと思う”、と小川は第1章冒頭に綴る。他者を犠牲にせず、慈しみながら共生する可能性を探りながら現代における「ケア」という言葉を考えると、新たな視野が広がっていくようだ。

現代の“ケア”を理解するために重要な4冊

左上『ケアするのは誰か?』、右上『本心』、左下『波』、右下『もうひとつの声で』
左上、ケアの倫理論者である岡野八代訳。長い歴史の中で軽視されてきたケアの実態、民主主義の再編の必要性について語られる。『ケアするのは誰か?』ジョアン・C・トロント。白澤社/1,870円。
右上、急逝したシングルマザーの母親の本心を息子が探る。社会的弱者とされる人の主観的な声が書かれる。『本心』平野啓一郎。文藝春秋/1,980円。
左下、男女6人が独白する半生の思い出。「小説からウルフのケア視点を学べ、多方面への愛の向け方が想像力の学びになります」。『波』ヴァージニア・ウルフ。早川書房/2,750円。
右下、ケアの倫理の原点とされ、世界16の言語に翻訳。女性の権利や自己の概念など心理学の理論からケアが語られる。『もうひとつの声で』キャロル・ギリガン。風行社/3,300円。