転がる車輪との出会い。いつかはトゥクトゥクの運転手

車輪の付いた転がる物が好きだ。あかちゃんの時、ぐずる僕を抱いて大通りで走るクルマを見せると泣きやんだと母が言っていた。物心ついたときから三輪車やクルマの形をしたペダルカーに乗って家の前で乗り回していた。

Text: Taku Takemura

いつかはトゥクトゥクの運転手

当時、一緒に住んでいたおばあちゃんが新宿の小田急デパートへ買い物に行く時、僕はついて行くのが好きだった。おもちゃ売り場で必ず〈トミカ〉のミニカーを買ってくれるからだ。包装紙の匂い、それに包まれた箱を振るとミニカーのカタカタと揺れる音がすごく好きだった。

大流行していたゴレンジャー、ウルトラマン、仮面ライダーのおもちゃには見向きもせず(いや、仮面ライダーの乗るバイクやウルトラ警備隊の乗るポインター号は気になっていたな……)。その代わりにおもちゃ箱いっぱいのミニカー、足こぎのクルマ、三輪車、ラジコン、しばらくして補助輪付きの自転車(仮面ライダーのようなマスクがフロントに付いているヤツ)と周りには車輪の付いた物だらけ。

僕は昼寝もしない子どもで、朝から晩まで何かしらの車輪を転がしまくっていた。ミニカーで遊ぶ時は、這いつくばって目線を床ギリギリに合わせる。本物のクルマを走らせているかのようなローアングルで眺める。ミニカーの車輪は、バネが付いていてサスペンションのように動く。当時見ていた「太陽にほえろ!」(その後は「西部警察」)で釘付けだったあのカーアクション・シーンのように、カーチェイスで逃げているクルマのサスペンションのような動きを再現して楽しんでいた。

竹村卓 クルマ

当時住んでいた家の数軒先に豆腐屋があった。僕の初めてのお使いはそこの豆腐だったんだけど、それより、その豆腐屋が配達に使っていた軽バンを今でもはっきりと覚えている(ダイハツのハイゼットバン、色は白、360cc!)。リアゲートを開いて店の前に停めていて、車内からはいつもおからのいい匂いがしていた。とても小さいのに荷物がたくさん積めそうだし、スライドドアも当時はまだ珍しかった。フロントタイヤの真上に運転席があって、我が家のセダン(5代目のトヨタクラウンロイヤルサルーン、2000cc)とはぜんぜん違ったポジションにも興味津々だったのを覚えている。

休日に家族で出かけるドライブは目的地より道中が楽しみだった。もちろん助手席を陣取り、父親が運転するクルマの操作の仕方をくまなくチェック。ハンドルの回し方、ウィンカーの出すタイミング、シフトレバーの動かし方。

夜になると眩しさを軽減するためにバックミラーのレバーをパチンと動かすこともエンジンを止める時の空ぶかしも(当時はキャブレーター車だったからね)小学生の時、家に泊まりに来ていた友だちとこっそり父親のクルマを運転して青山へドライブしたのは今でも内緒にしている。

竹村卓 クルマ

数年前にタイの本を出版した。タイで出会った人たちや見てきた物事をまとめた本。『New New Thailand』というタイトルだけれど表紙は昔からある3輪タクシーのトゥクトゥク。僕は旅行に出ると訪れた街で「ここで暮らすことになったら?」というシミュレーションをするのが好きだ。

タイ、特にチェンマイで暮らすとしたら、あの古くてうるさい三輪のトゥクトゥク運転手を仕事にしたいと思っている。現地で乗るたびに、エンジン音を聞いてはそのクルマの調子の良し悪しをチェックしたり、運転手のハンドルさばきを気にしている。バイクやクルマが無秩序に走る街中で客を拾っていかに速く目的地へ送り届けるかは、そのドライバーの腕とそのマシンにかかっている。もし僕がタイ語をバッチリ話すことができたら結構稼げるのではないか?と思っている。

年齢や時期によって興味を持つ物に変化はあったけれど、振り返ると僕は今までずっと転がる車輪に夢中なのだ。