気分は『バック・トゥ・フューチャー』のマーティ。あの頃、僕はアメリカに夢中だった

唸るV8エンジンの音、派手なホイールスピン、追いかけるパトカーのクラッシュシーン、「キキキーッ!」と鳴きながら転がるタイヤ。「カーチェイス」モノのアメリカ映画がとにかく好きだった。

Text: Taku Takemura

気分はマーティ、アメリカに夢中だった

『トランザム7000』、『キャノンボール』、『ブリット』、『マッドマックス』(コレはオーストラリアだけど)。サンフランシスコの急坂をジャンプしながらの爆走シーン、砂漠の途中で立ち寄るダイナー、モーテル、そしてガソリンスタンド(当時の日本にはセルフスタンドがなかったので、自分でガソリンを入れるのに超憧れた)。登場すると大体クラッシュしてしまう、ダッジモナコのパトカー(ブルース・ブラザーズが乗っていたモデルの後に発売された四角いライトが縦に配列されたモデル)は特に好きな車種。コーナーを曲がっている時に大体ホイールキャップが外れるのがいいんだよな。

見れば見るほど別世界、そんな遠い国アメリカにどんどん憧れていく。

バイシクルモトクロス(BMX)という自転車の存在を知ったのはそんな映画のワンシーンだったと思う。それは映画『E.T.』が放映されるより前だった。装飾してある方がかっこいいと思っていたのに、あのシンプルで何も付いていない機能美とダートコースを走るためのブロックパターンがゴツゴツとした太いオフロードタイヤの付いた自転車は少年の心を見事に奪った。補助輪を外してからもずっと乗っていた仮面ライダーのようなマスクが自慢の自転車。BMXの存在を知ってから、自慢のマスク、カゴ、ベル、泥よけ、チェーンガードもすべて外してしまった。

どうにかしてBMXに似せたいと思ったけれど、小学生にできるのはそれが限界。フレームから何から何まで違いすぎたその自転車では、憧れの姿にはほど遠く……。その元仮面ライダーの自転車が小さくなり、そろそろ新しい自転車に乗り換える時期が訪れる。

ザ・アメリカの塊、憧れのBMXは僕にもそして両親にも安い買い物ではない。当時はジュニアスポーツ車と呼ばれる5段変速ギア付き、明るい2灯ヘッドライトは当たり前、スピードメーター、テールライト、ウィンカーまでもが装備されたてんこ盛りのスーパーカー自転車が大流行の時で、泥よけすら付いていないのに、それらより値段の高い自転車に母親は理解に苦しんだだろう。

誕生日とクリスマスと、とにかくその時に考えられるアレやコレやのお祝いを強引にくっつけまくってやっと買ってもらった。

竹村卓 クルマ アメリカ

しばらくすると、スティーヴン・スピルバーグ監督の超名作でもある『E.T.』が放映され、作中で主役のエリオットやその仲間たちが警察から逃れるために乗っていたBMXが注目され、日本でも「E.T.自転車」と呼ばれみんなが知る存在となった(余談だけれど、劇中で、青年たちが靴のままテーブルに足を上げたり、夕飯がデリバリーのピザだったりする生活にも驚いた)。BMXを手にしてから毎日のようにいろいろなところへ出かけ、時には大荷物を背負って友人とキャンプにも出かけた。

まさに「フリーダム」。そんな体験はさらにアメリカへの憧れを強くした。

そして、また新しい車輪との出合いが訪れる。ひとりの友だちがアメリカのBMXの雑誌を持っていてみんなでページをめくっていると、スケートボードが並んでいるページに目がとまる。当時でいう通信販売の広告のページ。スケートボードの板に描かれていたカラフルでアウトローな絵柄がすごくかっこよかった。さっそく友だちのひとりがスケートボードを買った。今まで見たことのあったおもちゃのスケボーとはまるで作りが違っていて、やっぱりアメリカで作られた本物はすごい。周りの友人が次々とスケートボードに乗り始める。

僕は少し遅れて、友だちのお古を売ってもらってそれに乗っていた。タイヤが転がるのにはベアリングというパーツが必要だということを知ったのもスケートボードを組み立てた時。ウィールと呼ばれるタイヤとその軸になるトラックというパーツの間にベアリングをはめる。小さな金属の玉が回転するから車輪がスムーズに回るんだ。

それから放映された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ポリスアカデミー』など「スケートボードが登場する映画が日本でも放映され、スケートボードに明け暮れた少年の心にヒシヒシと訪れた「アメリカへ行ってみたい」という野望。気分は『バック・トゥ・フューチャー』のマーティなのに憧れれば憧れるほど、遠くに感じていくアメリカはまさに夢の国だった。

竹村卓 クルマ アメリカ