アーティストと弁護士が語る、アート業界の天変地異。
2021年3月、ビープルというアーティストの作品「Everydays: The First 5000 Days」が、クリスティーズ・オークションにおいて約75億円で落札された。
落札額もさることながら、その作品がブロックチェーン上のトークンとリンクした「NFTアート」という耳慣れない形式の作品であったことも、大きく話題となった。
果たして「NFTアート」という台風はアートの世界にどのような天変地異をもたらそうとしているのか。Art Lawの専門家である弁護士・木村剛大と、アーティストの布施琳太郎が、NFTアートの予期される功罪と可能性を語り合った。
そもそもNFTアートとは?
NFTとは「Non−Fungible Token」の略であり、非代替性トークン(唯一無二のデジタルデータ)とも表記される。
このNFTとアートを組み合わせたものが「NFTアート」であり、クリプトアートとも呼ばれる。これまでデジタルアート作品はいくらでも複製可能であり、それぞれが同じものであるというふうに考えられてきたが、NFTを使うことによってデジタル作品であっても固有のIDをつけることができるように、つまりは唯一性を付与することができるようになった。
これによってデジタル作品に原作品という概念が生まれ、現在、それらは取引市場で売買されている。
デジタル作品の所有とは?
布施琳太郎
NFTの登場によって、これまでコピーが容易だったデジタルデータに対して、それがオリジナルであることを示す証明書のようなものを発行することができるようになり、デジタル作品を私的に所有するということが可能になりました。
それが今、アートの世界においても大きく話題となっています。例えば日本では村上隆さんが〈OpenSea〉というNFT取引所で自分の作品のオークションを開催した後、それを取り下げるという出来事がありました。
取り下げの本当の理由についてはわかりませんが、これまでのアートにおける「コレクター」と、NFTアートにおける「オーナー」には差異があり、そこが村上さんの中で折り合いがつかなかったのかな、と想像しています。木村さんはどうお考えですか?
木村剛大
私は「コレクター」と「オーナー」が違うというより、NFTアートの取引に関しては作品を所有することがどういうことか詰め切れなかった点が大きいように思っています。
なぜなら、デジタル作品には所有権という概念自体がない。所有権はあくまで物理的なものに対する権利であり、デジタル作品を所有するとはどういうことなのか、オーナーは購入することで何ができるのかが、明確ではないんです。
布施
これまでもNetflixなどのサブスクリプションサービスや電子書籍など、デジタルデータの売買を行うサービスはありましたよね。
木村
はい。ただ、サブスクの場合は所有権というよりも、基本的には購読者だけがコンテンツにアクセスできるサービスなんです。
一方、NFTの場合は作品のデータ自体には誰でもアクセスできる状態が一般的な仕様になる。つまり、オーナー以外の人も作品自体にはアクセスできてしまう。
その際の所有とはなんなのか、誰もがデータにはアクセスできる状況でオーナーが満足感を持つためにはどういう仕様が最適なのか、まだ試行錯誤が続いている状況のように思います
布施
2017年に世界初のNFTを使ったゲーム『CryptoKitties』が発表されてブームになりましたよね。
あのゲームではトークン自体を視覚的に識別するために仔猫のデザインという意匠が用いられていて、トークンの取引自体がゲーム化されていたわけですが、そこからNFTアートについて考えた場合、取引される作品のアート作品としての評価はもうどうでもよく、作品がトークンの唯一性を視覚的に識別するためのアイコンとしてしか役立たないみたいな状況になっているのではないかとも思いました。
木村
そうですね。現在の状況もある種のブームであって美術史で評価されるNFTアートが今後どれだけ出てくるかは未知数ですね。
ちょうど先日、NFTに特化した現実の美術館がニューヨークに建設されるというニュースもありました
布施
なるほど。ただ個人的には、〈エディショナル〉などのサービスにおいて、ユーザー同士のコミュニケーションとして作品売買が行われている点には面白さを感じました。
せっかくの新しい技術ですし、これまでと同じような単に作品を見る・見せるという関係ではないやり方で広がっていった方がいい気がする。すでに社会の中にあるものをより便利にするっていうことと、そもそもまだ社会になかった枠組みを提供するっていうことには大きな違いがありますから。
そういう意味では、このNFTの技術を使って全く新しいプラットフォームを作っていこうという動きには期待しています。例えばライゾマティクスが新しく作ってるNFTアートの販売所である〈NFT−Experiment〉なども今後どうなっていくのか楽しみです。
木村
私もリーガル・アドバイザーとして関わっている〈Startbahn〉では、NFTを使って従来の紙の作品証明書をデジタル化するだけではなく、証明書発行者と作品所有者との間で個別に契約関係を結んでいくことで、還元金と呼ばれる作品が二次売買された時の新しいアーティストへの対価の還元方法を実装していくことを目指しています。
実際、NFTアートには二次売買された時に一定%還元されるような仕組みもありますから、そういった点ではこれまでにない枠組みになっているのかなと思います。
布施
アートとお金との関係性についてはまだ十分に実験されてきてるとは言い難い状況ですから、そうした試みはとても興味深いことだと思います。
未来の可能性と批評性。
木村
現場のアーティストたちはNFTをどう受け止めているのでしょう?
布施
大きく分けて2つの方向があると思っています。
例えば僕の知人のアーティストは自身がこれまで制作してきたゲームに登場するキャラクターの3DデータをNFTでタグ付けして販売しています。
これは自分の作品のこれまで価値づけできなかった部分をNFTによって価値づけしようという方向です。
もう一方で、NFTのような新しいシステムが生まれた時に、そのシステム自体に批評的な介入を試みようと考えるタイプの人もいる。そういう人たちの多くは、僕を含めてまだ方法を模索しながら足踏みしている感じです。
木村
日本よりも海外の方が動きは早いかなという感じはしています。
一般的にはビープルの75億円で落札されたNFT作品みたいに一点ものがまだ話題の中心になっていますが、最近はダニエル・アーシャムが初のNFT彫刻作品を8分間に限定したオープンエディションでリリースしていたりもして、試みも多様化してきています。
布施
個人的に面白いと思った試みとしてはmera takeruさんの「Note Fungible Token」というものです。
NFTの「Non」をピアノの音符の「Note」に書き換えて、ピアノの鍵盤の一音一音をNFTで紐づけて売るというNFT作品なんですが、ある種、NFTというものの仕組みを直感的に理解できるような作品で、タイトルのダジャレっぽい感じといいよくできているな、と。
木村さんから見ていてこれは面白いなっていう作品はありますか?
木村
今のところ見つけてないんですけど、この対談にあたって、私もアーティスト目線で自分なら何を作るかなって考えてみたんです(笑)。
そこで思いついたのは、空っぽのNFTです。なんのイメージにも紐づいてないものをリリースする。その代わり、例えば「10年後に自分の作品に紐づけます」みたいな文言を約束として入れておく。今後への期待を含めた作家の評価や信用を可視化するアプローチです。
作品のタイトルだけつけても購入者は想像を膨らませることができて面白いかもしれませんね。
布施
それは面白いですね。 あるいは、過去のアートプロジェクトには、技術的な壁によってコンセプトを提示するだけで終わってしまったようなものが多くあります。
そうした、アイデアとしては面白いけど社会に実装することが難しかった作品が新しい技術によって実現する可能性もあるかもしれません。
木村
NFTが可能にする面白いことは色々あると思います。ただ一方で問題点もやはりあります。
例えば著作権を侵害している作品が取引された時に、一体誰が削除できるのか。ブロックチェーンは耐改竄性に優れる半面、なにか問題があった時に元に戻すことが難しい。
いくら著作権侵害だと裁判を起こしたところで、費用対効果も合わないし、削除を強制できるのかもわからない。
布施
あとは環境問題も大きいですよね。暗号通貨のマイニングは環境負荷が大きいという指摘は多くなされています。
デジタル化こそがフィジカルなプレッシャーをもたらすというのは実感し難いですし、そういうところだけ切り抜くと、「人類の敵」みたいな感じになっちゃいますが(笑)。
木村
環境問題は、システムの提供者たちが確実に意識せざるを得ないところだとは思います。
布施
ただ、そのうえでNFTアートに可能性があるとすれば、現代アートが持つ「与えられたルールから逸脱し、枠組み自体を問い直していく力」も求められると思います。
ネットアートの黎明期に活動していたエヴァ&フランコ・マッテスというアーティストはマルセル・デュシャンやジェフ・クーンズの作品の断片を美術館から盗み出し、それを展示することで、アートの世界の仕組みについて批判的に問い直していました。
これは100%犯罪なわけですが(笑)、例えばブロックチェーンのルールに対して、これまで存在しなかった方法でアーティストが逸脱することで、NFTの負と正をあらわにしていくこともあり得るかもしれない。
そうしたクリエイティブなルール違反の可能性に期待したいですね。