「ドラマ『刑事コロンボ』(ユニバーサル映画制作)って、日本でも放送されていた?タイトル曲は、あの番組から着想して書いたものなんだ。前作『To Let A Good Thing Die』(2020年)のツアーが、ロックダウンのため、全部キャンセルになってしまった。
長かった制作から解放された直後だったせいで、すごく落ち込んでしまい、何もする気が起きなかったんだ。1年くらいグダグダしていたら、ある日、渡航制限解除のニュースを見てね。すぐに地元のロンドンからLAへ向かうフライトチケットを取って。空港へ着いて、そのままハリウッドのカーディーラーへ直行したんだ。
とにかく塞ぎ込んでいたから、70年代のアメリカ映画にでも出てきそうなフォードとかダッジ・チャージャーでも買ってハイウェイでもぶっ飛ばしてやろうと思ってさ。マッスルカーも魅力的だったんだけど、そこで目についたのが、7500ドルという超お手頃な中古のメルセデス(笑)。渋いキャメル色だったから“あ、コロンボのコートと同じ色だ!”と思い、名前を拝借することにした。ドライブしまくっていたら、どんどんメロディが湧いてきて。新しい曲がどんどんできた。
購入した1年後、コロンボで事故を起こしてしまってね。警察と保険会社の現場検証中、僕は路肩に座って待っていたんだけど、その時“あぁ、コロンボ……”という、ポール・サイモンが書きそうなフォークギターのアルペジオとメロディ、歌詞が同時に浮かんだ。彼がいなければ、新作なんてできなかったから(廃車への)追悼の意味も込めて、アルバムタイトルにしたんだ」
LAで生まれたメロディ
2020年以降のさまざまな出来事は、音楽性はもちろん、物事に対する考え方にも影響を与えたという。
「ロックダウンの間、いろいろなことを考えたよ。何もしていない瞬間“もしかして大事なものを失ったり、見逃したりしているんじゃないか?”という強迫観念にとらわれていてね。また、過去の失敗を振り返り“あの時、ああしておけばよかったな”とか思ったりして。辛く、ウザったい時期だった(笑)。
コロンボの件も含め、アルバム全体に喪失感があるのは、そんな時間を過ごしたからかもしれない。日々を生きたい、人生を全うしたいという気持ちが強くなったから、LAにいる間、言いたいことが溢れ出てきて。歌詞を3曲同時に書いたり、生きる気力が湧いてきたんだ。僕には音楽があって、本当にラッキーだったと思う」
『Columbo』冒頭の「The Show Must Go On」は、前作を踏襲したスローで心地よいメロディでありながら、リズムは温もりのあるアコースティックなアレンジ。ザ・バンドなど、アメリカンロックに近い印象だ。
「ボブ・ディランやポール・サイモン、キャロル・キングなどアメリカ人の音楽家から、めちゃめちゃ影響を受けているから、当然のことだと思う。昔からイギリス人ミュージシャンは、アメリカの音楽に憧れ、売れたら必ずLAやニューオーリンズへ行くよね(笑)。
エルトン・ジョンだってデビュー当初はヨーロッパでレコーディングしていたのに『Caribou』(1974年)はシカゴで録音しているし。僕もレコーディングは、スタジオで起きる音楽家同士のアドリブや奇跡のようなケミストリーに賭けているところがある。つまりジャズの理論からの影響が大きい」
いくらアメリカ音楽が好きでも、自分自身は“ブリティッシュ・シンガーソングライター”だと自覚することも多いという。
「ニック・ドレイクの『Pink Moon』というアルバムがあって、全曲が歌とギターだけのシンプルな作品なんだ。10代の頃から、僕の教科書みたいな作品。『Columbo』の曲も、すべてLAで書き、それをロンドンへ持って帰る。自宅へ戻ったら、まずは自分の『Pink Moon』を一回作る。それをベースに、スタジオへ入ったんだ。LAでも試したことはあるんだけど、やっぱりレコーディング自体は、ロンドンにある自宅スタジオがベスト。湿度や電源のアンペア数など、それぞれに明確な違いがあるけど、なぜ地元がいいのか、正確にはわからない。そんなモヤモヤしたところも踏まえ“ああ、やっぱり自分はイギリス人なんだな”と思うことがあるんだよね」
あの映画が歌詞に影響?
歌詞における描写はリアルな感情を歌いながらも、どこか物語的なドライさも。特に恋愛ものでは顕著だ。
「周りに面白い友人が多いから、彼らが言ったことをiPhoneにメモしていることも多いかな。『Tell Her』は、共同制作者のダニー・コープが“LAのパーティに出席したら、お前の元カノに会ったぞ!”とメールしてきて。彼女とは別れてから会ってなかったから“なんで、その場でメールくれなかったんだ?”とメールで言い合いになった。
しばらく経ってから“バカバカしい言い合いだったけど、なんかロマンティックな話だったから曲にしない?”って(笑)。
また『When Can We Be』は、編曲家のダニエル・マクドゥーガルと、コール・ポーターやジェローム・カーンら、ジャズのレジェンドについて“彼らの作品は、現代においても、もっと聴かれるべき音楽だ。ほかの凡百の曲が邪魔をしているせいだ!”とか話している最中、“なんか、映画『恋人たちの予感』(89年)の、主人公のハリーをジャズ、恋人のサリーを現代人に譬(たと)え、2人が出会うまでに、恋敵たちが妨害してくるって話に似てない?”ということになって(笑)。そんな会話がベースになって歌詞ができたんだ。
『Tears In Rain』は、亡くなった祖母が、病床にいた時のこと。最期は意識が朦朧としていることが多かったけど、ある時に突然初デートのことを語り出したんだ。ハイテンションで、どう対応していいかわからなかったんだけど。後になって、あの時の祖母と、映画『ブレードランナー』(82年)のレプリカント、ロイ・バッティが最後に自分の経験を独白するシーンが重なってね。おばあちゃんは、バッティみたいに怖くないけどね(笑)」
歌はシルキーなのに、キャラクターはユーモアやウィットに富んでいる。そのギャップもまた魅力的だ。
「僕だって意外と苦労しているんだよ(笑)。音楽家としてデビューする前、毎日曲を作っていたら、マネージャーから、“音楽以外に、何か夢中になれるものを作れ”と言われて。友達の趣味に便乗し、ゴルフを始めてみたら、どハマり(笑)。
毎日コースへ出ていたら、ワンラウンド80くらいで回れるようになっちゃって。今でもツアーには、MIZUNOのクラブを持っていってる。ロンドンでは友達とゴルフをやって、夜は朝までパーティ三昧。LAでは真面目に音楽を作るという流れが定着している。LAのコースもいいんじゃないかって?確かにね(笑)。でも、西海岸には海もあるから、サーフィンという手もあるしさぁ。遊んでばかりもいられないから、スタジオで制作しているのがいいかもしれないね」