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発酵デザイナー・小倉ヒラク、料理家・樋口直哉の忘れられない朝食の話

きっと誰にでも、忘れられない朝食がある。子供の頃に毎日食べていた母の味、旅先で食べた特別な朝食……。今はもう食べられないけれど、思い出すだけでお腹が満たされる。そんな朝ごはんの思い出を、小倉ヒラク、樋口直哉が綴る。

初出:BRUTUS No.920「最高の朝食を。」(2020年7月15日号)

Illustration: Kenji Asazuma

小倉ヒラク 
丸パンとオリーブ地中海の輝きが蘇るトルコの朝食の思い出

10代後半の頃、トルコへ旅に出た。贅沢のできないバックパッカーの楽しみは街場の食堂の朝食。トルコでは小さな街でも角を曲がるごとにパン屋さんがあって、毎朝出来たての丸パン(フランスで言うところのカンパーニュ)を新聞のように近場の食堂に配達する。

出来たてのふっくらモチモチした丸パン(エキメッキ)に、付け合わせの塩味のきいた油漬けのオリーブ。そしてほかほかと湯気の立つチョルバという豆のスープがミニマルセット。
パンはサービスで、ほとんどタダのような値段で満足の内容。数日おきに奮発してメネメンというトマト入りのオムレツ鍋をつけたら、お昼ご飯が食べられないほどの満腹コースだ。

毎日のように通った、地中海沿いの古い街の食堂の若いシェフが、朝食セットをがっつく僕を見て「今君が食べているオリーブ、美味しいでしょ。トルコのオリーブはイタリアよりも美味しい。パレスチナのには負けるけどね」と誇らしげに言う。

小倉ヒラク「丸パンとオリーブ地中海の輝きが蘇るトルコの朝食の思い出」イメージイラスト

食べ終わったら、ローマ時代の面影を残す白い並木道に散歩に出るのが毎朝の日課だ。散歩途中、路上のお茶売りに声をかけられて小さなグラスに注がれた砂糖たっぷりのチャイをもらう。海沿いのベンチの舗石に腰掛けて、あたたかいチャイを飲みながら、地中海のキラキラした水面を眺めるのが楽しかった。

モチモチの丸パン、ねっとりと旨味のあるオリーブ、身体の底から温まるスープ。そして街角から聴こえてくる、一日の始まりをつげる賑やかさ。この旅以降、20年近く世界のあちこちを旅しているが、トルコの朝食ほど心が沸き立つような瞬間には出会えない。

樋口直哉 
日常としての海と朝食

人間を「山派」と「海派」に大別すると僕は後者だ。山登りよりも海の近くにいるほうが落ち着く。

京都という地名には古都のイメージがあるけれど“海の京都”とよばれる北部はまったく違う魅力がある地域である。昨年、はじめて訪れた。興味深い場所ばかりだったので、機会があったら再訪したい。

かの地をどうして訪れたか、というと料理講習会の仕事があったから。僕らは前日から入り、講習会のための料理の仕込みを済ませ、伊根町に泊まった。伊根町は“伊根の舟屋”で有名な街である。舟屋は一階が船のガレージ、二階が部屋になっているこの地方独特の伝統的な建築群だ。

高いところから町を見下ろすと、目の前に広がるのは両手で抱けるような小さな湾だ。湾の内側にそって舟屋がずらりと並んでいる。人々は船を出したり、漁をする。漁といっても大掛かりなものだけではない。
前日の夕飯で食べた魚のアラを網に入れて、舟屋の窓からぶら下げておけば、翌日には魚が入っている。なんて豊かな日常なんだ、と思う。このあたりでは日常のなかに海がある。

樋口直哉「日常としての海と朝食」イメージイラスト

我々が泊まった〈舟屋のお宿 倉忠〉もよそ行きの宿ではなくて、いわゆる農泊(農家や漁師が部屋を貸すタイプの民宿)施設なので、遠い親戚の家に泊めてもらうような感覚だった。

朝ごはんを食べに階段をおりると窓のすぐそこに海が広がっている。冬の白い日が水面で細かく反射している。宿のお母さんが用意してくれた朝食は炊きたての御飯と味噌汁、海藻の煮物と漬物。海苔と焼き魚。どれも実家にあるような食器に盛られていて心が和んだ。

おいしい焼き魚に感心していると、お母さんが丼いっぱいの卵を持ってきて「卵かけご飯で食べて」と言う。僕らはそれに従う。ここではおいしい魚なんて当たり前過ぎて、誰も気に留めないのだ。

朝食にはその人の日常があらわれる。旅を振り返って思い出すのはいつもこんなシーンである。そして、あんな場所で生まれ育っていたら、自分はどんな人間になっていたんだろうな、と考えたりする。自分自身の日常のなかで。