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飲む

「酒を飲む」文・養老孟司

いい酒場ってなんだろう。養老孟司さんが綴る、忘れられない酒と酒場の物語。

text: Takeshi Yoro / illustration: Yoshifumi Takeda

学生時代には、コップ半分のビールで気分が悪くなった。典型的な下戸で、中年になって飲むようになったのは、ヤケ酒のおかげである。飲むしか仕方がない。そう思ってひたすら飲む。

それを続けると、どんどん酒量が上がる。肝臓がアルコールの分解に必要な酵素を余分に産生するようになるらしい。

飲まなければ、酵素ができてこないから、飲まずにいると、またすぐ飲めなくなる。だから、毎日一生懸命に飲む。そんなに無理して、なぜ飲まなきゃいけないのか。この種の質問はすぐに出てくる。面白くない。

ひたすら飲むしかない。そう思い詰める。そういう事態があってもいいではないか。その原因を、本人が理性的に把握している。この種の質問には、そういう前提がある。そこが気に入らない。

人が何かするときに、やっている本人だから、やる理由を把握しているだろう。そう想定するのは、あまりにも安易である。自分が現に生きている。その理由を端的に説明できる人がいるだろうか。

何はともあれ誠心誠意、一生懸命に飲んだ。私の人生には、そういう時期があった。今から四十年ほど前である。生来丈夫だったのか、それで体を壊すことはなかった。

いいたいことは単純である。私は本当の酒好きではない。本当の酒好きは飲み方をみればすぐにわかる。いとおしそうに、大切そうに、飲む。私はいわばいい加減に飲む。気になることから逃れるために、手段として酒を飲む。これは良くない。それに気づいて、還暦を過ぎたころから、まったく飲まなくなった。酒に申し訳ない。論語に言う。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。

上野にEstというバーがあった。ナベさん、渡辺さんというバーテンがいて、本当に酒を楽しむ人のバーだった。だから私は時々しか、行かなかった。今年は皆さんに米寿のお祝いをしていただいた。さすがにこの年齢になると、ヤケ酒はない。あらためてどこかに飲みに行こうか。ふとそんなことを思う。でも飲み友だちの多くが、すでに他界した。