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BIKEPACKING DIARY in Alaska Vol.09: 蒼き氷河が教えてくれたこと

ちょっといい自転車を手に入れてから、どっぷりと自転車にハマってしまった編集者が、北海道やニュージーランドへの一人旅を経て、次なる地へと旅立った。漕いで、撮って、書いて、を繰り返した42日間のバイクパッキング。これは、大自然アラスカの中でペダルを漕ぎ続けた冒険女子の記録である。

photo & text: Satomi Yamada

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Day 19
2023.09.04 mon
Whittier

小さな美しい港町ウィッティアは、高い山々、パッセージ運河、ポーテージ湖に囲まれている。ほかの町へ通じる唯一の陸路は、有料トンネルのみ。もともと鉄道用につくられたため幅が狭く、列車も車も一定間隔で片側交互通行となる。利用できるのは5:30〜23:15に限られ、徒歩や自転車では渡れない。まさに陸の孤島だ。

そんなことはなにも知らないまま、昨日、わたしはバルディーズからフェリーで6時間かけてウィッティアへやってきた。

到着したときは雨と霧で視界がほとんどなく、景色はよく見えなかったが、今日は一転して快晴。レイバーデーの祝日ともあって、港は活気に満ちている。びっしりと停泊した船に人々が次々と乗り込み、あちこちから賑やかな声が聞こえてくる。

こうして夏の間は、釣りやトレッキングなどを目的に多くの観光客が訪れる。なかでも、プリンス・ウィリアム湾の氷河クルーズが人気だ。

町では、これらの船を牽引して運ぶ車をよく見かける。

アラスカを自転車で走っているときも、時折、遠くに氷河が姿を現すことがある。

氷河は、何千年、何万年もの時間をかけて積もった雪が圧縮され、巨大な氷の塊となり、自らの重みでゆっくりと流れていく。もちろん、それは人間の目に見えるような動きではない。けれど、初めて目の当たりにした氷河は、まるでこちらに迫り来る巨大な生き物のようだった。山に積もる雪とは明らかに異なり、その静かな圧力が周囲の空気を張り詰めさせているように感じられた。

自転車で走っていたときに見かけた、ワーシントン・グレイシャー
自転車で走っていたときに見かけた、ワーシントン・グレイシャー。

もっと間近で見てみたい。そう思っていたわたしは、プリンス・ウィリアム湾に点在する26の氷河を船で巡るツアー「26 Glacier Cruise」に参加してみることにした。

ツアーを運営する〈Phillips Cruise and Tours〉の窓口へ向かい、大人1枚のチケットを購入する。この130マイル(約210km)の海の旅では、氷河を巡るだけでなく、ラッコ、アザラシ、カワウソ、クジラなどの野生動物にも出会えるという。

乗船口にはすでに多くの観光客が列をつくっていた。最後尾に並び、順番に乗り込んでいく。わたしの席は、最前列の窓側。景色を思う存分楽しめそうで、当たりを引いたのではと興奮気味に席についた。

330席を有する〈KLONDIKE EXPRESS〉。プリンス・ウィリアム湾は比較的穏やかな海域で、この大型で安定した船を使うため、船酔いしにくい。

出発時刻を迎え、チュガッチ国立公園のレンジャーによる解説が始まるとともに、船が岸を離れる。パッセージ運河を30分ほど進むと、1つ目のバリー氷河が姿を現した。山の上に静かにたたずむそれとはちがい、この海岸氷河は、まるで噴火した山から溢れ出すマグマのように、海へ向かって押し寄せているように見える。

しかし実際には、温暖化の影響で氷河は後退を続けている。かつて海岸まで迫っていたものも、いまは後ろへと押し戻されつつあるのだ。それでも、目の前に広がる巨大な氷壁は、その歴史を物語るに十分な存在感を放っていた。

チュガッチ山脈からハリマン・フィヨルドへと流れるバリー氷河。20世紀初頭には海まで達していたが、温暖化の影響で後退を続け、現在はフィヨルドの奥にその姿をとどめている。
ハーヴァード氷河は、探検に参加した学者の所属大学にちなんで名付けられた。海へ直接流れ込む潮間氷河であり、比較的安定しているため、大きく後退していない珍しい氷河のひとつ。末端の幅は約3.2kmに及ぶ。

船は高速で移動を続け、次々と氷河を巡っていく。どの景色も圧巻だが、見るたびに違和感が募っていった。なにか物足りない。氷河との距離はずっと近いのに、自転車から見たときのような迫力が感じられないのだ。さらに、プロによる丁寧な解説が加わることで、まるで博物館で模型を見せられているかのような感覚にもなってくる。

最初の興奮は、船のスピードとともに次第に薄れていった。

自転車では水路を進むことはできない。だから、わたしには海岸氷河を自分の足で見に行くことができない。でもアラスカのように、陸路では行けない場所が多い土地には、シーカヤックで旅をする強者がいる。

わたしも自分の力で氷河を辿ってみたい。もちろん、それは簡単なことではないけれど、まずはこの旅のうちに、必ずシーカヤックを経験してみようと心に決めた。

海から見たウィッティアの町。

約5時間の海の旅を終え、船を降りて港近くのピザ店で夕食を買い、宿へと戻る。明日からはキーナイ半島を南へ進んでみようと思い、iPhoneでルートを検索する。しかし、何度試してもルートが表示されない。それもそのはず、自転車でこの町を出られる道は存在しないのだ。

このときまで、そのことを知らなかったわたしは一瞬青ざめたが、すぐに「まぁ、ヒッチハイクすればいいか」と思い至った。すると、クルーズ船では味わえなかった、ワクワクする旅への気持ちが再び湧き上がってきた。

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