BIKEPACKING DIARY in Alaska Vol.02:アラスカにやってきた

ちょっといい自転車を手に入れてから、どっぷりと自転車にハマってしまった編集者が、北海道やニュージーランドへの一人旅を経て、次なる地へと旅立った。漕いで、撮って、書いて、を繰り返した42日間のバイクパッキング。これは、大自然アラスカの中でペダルを漕ぎ続けた冒険女子の記録である。

photo & text: Satomi Yamada

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Day 1
2023.08.17 thu
@Anchorage

テッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港に着いたのは、朝6時だった。ターンテーブルに載らない大きなダンボール箱が、手荷物受取所の隅にある大型荷物専用口から出てきた。長旅を経て、中身が見えるほど持ち手が破れたその箱は、すでにその役目を終えたような姿をしていた。

自転車の入ったダンボール箱
手荷物カートの使用料が$8だったため、30kgほどあるダンボールを引きずって移動。

建物の外へ出ると、顔を出したばかりの太陽が足元に長い影をつくっていた。8月中旬のアンカレッジは日中20℃近くまで気温が上がるけれど、朝は少し冷んやりと感じられる。大きなダンボール箱を開けてシェルジャケットを探し、Tシャツの上に羽織った。

ほかの荷物もすべて取り出し、自転車を組み立てていく。傷が付かないよう巻きつけておいた緩衝材を外し、サドルを下に向けてフレームを地面に立てる。タイヤに空気を入れて取り付け、シートの高さを合わせれば乗れる状態になる。

残りの荷物を整理して、4つのバッグに分けて詰める。衣類はリア、キャンプ道具はフロント右、カメラや充電器などの機械類はフロント左、地図や筆記用具はハンドルの前というふうに、使用頻度と壊れやすさを踏まえて積載していく。

準備を終え、アンカレッジの市街地へ向け出発する。空港から約5kmと、旅はじめにはほどよい距離だ。ハイウェイの脇で、同じく市街地へ向かう車に並走する。町に到着したのは正午近く。長時間移動で疲れた体は、胃に優しい温かい食べ物を欲していた。

ベトナム料理のお店を見つけて入り、フォーを注文した。料理を待つあいだ、これからどうしようかと考える。決まっていることはまだなにもない。どこへ向かって走ろう。地図を開いて、アラスカの地形を眺める。

ベトナム料理店のフォー
空港と市街地を結ぶスペナードロード沿いにある、ベトナム料理店「Pho Lotus」にて、チキンフォーをオーダー。

自転車旅をする人は、“端っこ”を目指す人が多いように思う。たとえばアラスカでは、陸路の最北端であるプルドー・ベイを目指す人たちがいる。北米最高峰のデナリを通過し、南から北へと景色が移り変わるルートはなんとも魅力的だ。

インターネットで調べると、過去に旅した人のブログや、SNSにアップされた写真や動画が見つかった。けれど、出てくる情報が多ければ多いほど、なんだかちがうような気がしてくる。他人を真似てもおもしろくない。

昼食を済ませ、自転車店へ立ち寄った。必要な道具を買おうとレジへ行くと、店員さんにこれからどこへ向かうのか尋ねられた。まだ決めてないと答えると、ハッチャー・パスがきれいだとか、キャントウェルからパックスソンを走るのもおすすめだとか教えてくれる。

人から直接聞く情報は、足を使わなければ得られない。特に地元の人や、その地を旅した人の情報は密度が高い。できるだけ生の声を拾い集めてプランを練る。そうすればガイドブックやインターネットには載っていない、自分だけの旅路が開けていく。

アンカレッジの自転車店
自転車店「The Bicycle Shop」。アラスカではマウンテンバイクが主流。雪の上を走るファットバイクも揃う。

お店を出て書店へ行き、アラスカの詳細な地図を探した。教えてもらった地名の位置をひとつずつ確かめていく。アンカレッジから東の方角を見やると、マッカーシーという地名が目に入った。日本を発つ前、アラスカに精通する知人から教えてもらっていた場所だ。

そこは20世紀初頭に鉱山の町として栄え、1938年に閉山した後ゴーストタウン化した。知人は、数年前に若者たちが訪れるのを見かけたと話していた。調べてもあまり多くの情報は出てこない。そこにピンとくるものがあった。どんな場所なのか、自分の目で確かめてみたい。

アンカレッジから約500km。町の手前100kmほどは舗装された道がないという。たどり着けるかわからないけれど、ひとまず東へ進路を取ってみようと決めた。

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