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元ソープ嬢の写真家・紅子はなぜ遊廓・赤線を撮り続けるのか?

色街写真家・紅子さんは、カメラを抱えて西へ東へと飛び回り、遊廓・赤線跡を撮り続ける。何が彼女をそこまで駆り立てるのか?その背景には自身が歩んできた波瀾万丈の人生があった。

photo: Junmaru Sayama / text: Tetsu Takasuka

裸になれば誰かに受け入れてもらえるはず

「子供の頃、周りから嫌われていてどこにも居場所がなかったんです。声が低くて気持ち悪いと言われてから、言葉を発することが怖くなってしまった。小学校に上がっても一言も言葉を発せず、給食もひと口も食べない。痩せ細って本当に気味の悪い子供だったと思います。勉強も全く理解できませんでした。読み書きができるようになったのは、30歳を過ぎてからです。

そんな感じでしたから、学校ではいじめられて不登校になりました。両親は自営業だったので、ほとんど家にいませんでした。ですから、家は荒れ放題でまるでゴミ屋敷。雨戸も閉めっぱなしで部屋は真っ暗。そんな中で私はずっと女の人の裸の絵を描き続けていました。なぜかというと、大人の男性たちがポルノ雑誌を読んで喜んでいる姿を見ていたからです。いつか大人になって裸になれば、こんな私でも誰かに受け入れてもらえるのかもしれない。そんな憧れがあったのです」

色街写真家・紅子
自身の過去について語る紅子さん。その語り口は常に穏やかだ。

幼少期についてこう語るのは、日本各地の遊廓・赤線跡を撮り歩く色街写真家として活動する紅子さん。彼女はその後、高校を中退。アルバイトをしながら美術学校に通ったが、学費が工面できなくなり、18歳の時に風俗店で働き始める。しかし、物覚えが悪く、客やスタッフから怒られる日々が続く。裸になれば誰かに受け入れてもらえるという夢はそこで崩れ去った。読み書きもできなかったため、どうすれば普通の会社で働けるのかもわからず、風俗店を転々とするしかなかった。そして辿り着いたのが、吉原のソープランドだった。

「あるお客さんから吉原という場所があると教えられたんです。その人からは、“吉原なんかに行ったら人生終わりだよ”とも言われました。でも、私はその時、本当に人生を終わりにしたいと思っていたんです。だから、すぐに吉原のソープランドに面接を受けに行き、就職しました。ソープ嬢をやりながら、アート活動にも取り組みました。何か人と関わりながら表現したいという衝動があったんです。

そこで選んだのが、パフォーミングアートでした。『私はアーティストじゃない、ただのセックスワーカーだ』とステージの上で掲げて裸になるという過激なものでした。海外のアートフェスティバルにも招いていただいて、20カ国ほどを回りました」

綺麗な写真は撮りたくない

その後、結婚を機にソープ嬢を引退。一児を授かるが、子供が1歳の時に離婚し、シングルマザーとなる。

「子育てで手一杯だったので、アート活動は15年近く一切していませんでした。しかし、40代後半に差し掛かり、自分の時間が持てるようになった頃、『自分は何もせずにこのまま死んでいくのか。何かを表現して生きた証しを残したい』という思いが強くなって、せめてもの自己表現として、3年ほど前からインスタグラムで写真を投稿するようになったんです。最初はスマートフォンで気になる街の風景や建物を撮って載せていました。その場所を後で調べてみると遊廓や赤線の跡だったということがわかったんです」

紅子さんが撮る遊廓・赤線の写真は、インスタグラムを閲覧する人々を惹きつけ、フォロワーが続々と増えていった。写真に共感した人から“いいね”をもらえたり、コメントをもらえることが嬉しかった。最初は東京の街で偶然見つけた遊廓・赤線跡の風景や建物を被写体にしていたが、徐々に地方にも足を延ばし、一眼レフで撮影するようになった。

色街写真家・紅子
路地裏へ入り込み、遊廓・赤線の名残を探す。

「遊廓・赤線の建物は建築として美しく、価値のあるものだと思いますが、あくまで売春が行われていた場所です。だから、綺麗な写真は撮りたくない。そこに深く刻み込まれた人の営みを写真に残したいんです。私自身、性をオープンなものにしたいとは考えていません。閉ざされているからこそ魅力を感じるんです。いかがわしく、人々から敬遠されてきた場所をどう伝えるかを常に考えています」

インスタグラムを始めた頃は、自身が風俗嬢だったことを明らかにしていなかったという。だがある時、コメント欄に短い文章で自身の過去について書き込んだ。

「表現する上で、その根本となるものがないと伝える力が弱くなります。だから、私がなぜ遊廓や赤線の写真を撮っているのか、はっきりと伝えたかったんです」

写真を通して歩んできた道を振り返る

なぜ遊廓や赤線の写真を撮り続けるのか?その理由を紅子さんはこう語る。

「私は風俗嬢として働いていたことを後悔しています。風俗嬢だった時はずっと谷底から社会を見上げるような毎日を送っていました。学力も技術もなく、どうやって仕事に就けばいいかもわからず、風俗嬢として生きる道を選びました。でも、シングルマザーになり、自分で子供を育てなければいけない状況になった時、必死に勉強して、普通の会社で働けるようになったんです。もっと早く、学んだり、技術を身に付けたりしていれば、風俗の道に進まず、普通の会社に勤められたのかもしれない。そんな後悔があるんです。でも、後悔したまま人生を終わらせたくない。だから、今残っている遊廓・赤線の名残を訪ね歩き、写真に残すことで、私が働いていた場所がどのような場所だったのか、歴史を紐解きながら考えていきたいと思ったんです」

紅子さんは現在、YouTubeにも活動の幅を広げている。そこでは、自らの過去を赤裸々に語りつつ、全国各地の遊廓・赤線跡を紹介しており、3万人を超えるチャンネル登録者がいる。4月末からは3度目となる写真展も開催される。幼い頃から人に受け入れられたいと願ってきた紅子さん。その想いが今、写真という表現を通して叶えられている。

『紅子の色街探訪記』シリーズ
『紅子の色街探訪記』シリーズ

紅子さんが全国各地を回って撮りためた遊廓・赤線の写真を収録。〈カストリ書房〉ほか、オンラインショップ等で入手可能。各1,600円。