阿部海太郎さんが語るベートーヴェンの魅力
映画、ドラマ、アニメをはじめ、故・蜷川幸雄が演出した数々の舞台で音楽を手がけてきた阿部海太郎。もともと東京藝術大学・大学院、パリ第八大学第三課程で学ぶが、専攻は作曲ではなく音楽学。小さい頃からピアノやバイオリンを習い、クラシックは身近なものではあったのだが、実はベートーヴェンのことがずっと好きになれなかったという。
「交響曲を聴いても全然肌に合わなかったですし、小さい頃に弾かされたピアノソナタも苦痛だったんです。ただ例外だったのは、第2楽章で出てくるようなゆったりとした音楽。とても美しいというだけでなく、同時代のハイドンやモーツァルトとは違う、深く、静かな美しさみたいなものには、当時から惹かれていました」
ところが30代半ばを迎える頃に突如、興味が湧いてきたという。
「きっかけとなったのは、レコーディング現場での体験でした。僕が作る曲には、演奏家に無理を強いるような難解なものはあまりないのですが、かといってラクをして弾いてほしくはない。そうした演奏家との駆け引きを経験するうちに、これまで何度も見てきたベートーヴェンの楽譜が、まったく違ったものに見えてきたんです」
具体的に、どのような発見をしたのだろう?
「僕の持論ですが、例えばベートーヴェンにとってのff(フォルテッシモ/イタリア語で“とても強く”)は、楽曲の中の相対的な強さではなく、“あなたにとって、最も強い音って何ですか?”と、問われているように感じるんです。そしてを演奏する前の緊張感には、ものスゴく深い沈黙がある。集中しているからこそ生まれてくるp(ピアノ/弱く)。僕が幼い頃に魅了されていたのは、この静けさだったのか!と気づき、腑に落ちましたね。
モーツァルト的なエレガンスを感じるpとは違う。ベートーヴェンのpには、計り知れない深さが感じられます。ほかにも交響曲第1番の第1楽章で、最後の小節はすべて休符なのになんで楽譜に書く必要があったのか?とか、考えさせられることが非常に多い。
そう捉えると、問われた方の演奏家も途端に考え込んでしまいますよね。つまり作曲家は、楽譜の中に演奏家へのメッセージを込め、問いかけているのだ、と」
ベートーヴェンの楽譜の中に、「いい演奏を引き出すためのヒントを見つけた」ともいう。
「ベートーヴェンの楽譜上の文脈を踏まえていくと、一つ一つの音符や演奏方法を指示する楽語には、言語的なメッセージが込められていると思うようになったんです。楽譜に書かれた音符をただ弾くことはできます。けれどベートーヴェンが自分の楽譜に込めたものは、単なる音符ではない。
その上に現実を超えた世界が広がっているんです。演奏家は、それを現実の身体を用いて表現しなければならない。そこに、作曲家と演奏家の見えない駆け引きがあるんです。ベートーヴェンの楽譜には、演奏家が自分の技術をつぎ込める瞬間があるからこそ、演奏しがいがあるのでしょうね」
ほかの作曲家に比べて、とりわけベートーヴェンの楽譜にこうした見えない駆け引きがあるのは、彼が生きた時代と関係があるのではないか、と阿部さんは考える。
「それまで音楽は、限られた仲間内や王侯貴族に理解されればよかったのに対し、ベートーヴェンの時代になるとパブリックな他者(公衆)と向き合い、自己の音楽を通じてやりとりしていく必要が出てきたんです。そしてベートーヴェンにとっての最初の他者が演奏家なんです。だからこそ、まず楽譜に質的な違いが表れているのではないでしょうか」
ベートーヴェンは18世紀と19世紀をまたにかけて活動した作曲家。18世紀までの西洋では教会や宮廷といった場所に権力が集中していたが、18世紀末にフランス革命が勃発。ヨーロッパは疾風怒濤の真っただ中にあり、世の中が貴族中心から市民中心へと移り変わる、まさに激動の時代をベートーヴェンは生きたのだ。
「演奏家をどうやって楽しませつつ、アジテーションもしていくのか……簡単にいえば、ベートーヴェンは演奏家に“やる気”を出させるのがうまいんです。僕自身が録音の現場をたくさん経験したことで、そうした視点が持てるようになり、ベートーヴェンの音楽に興味が湧き、作曲家として多くのことを学びましたね」
最後に阿部さんは、自身のベートーヴェン観に影響を与えた存在、演出家・蜷川幸雄のエピソードを語ってくれた。
「蜷川さんの舞台の音楽を何度か手がけたことがあるのですが、ベートーヴェンと蜷川さんは似たタイプだと思うんです。ベートーヴェンが演奏家に負荷をかけるように、蜷川さんも俳優に同じことを課するんです。役者がラクをして自分の得意なやり方で演技すると大激怒していました。
例えば、命からがら逃げてきた伝令が王に戦況の報告をする場面で、若い役者の演技が気に入らず、“駅から劇場まで走ってこい!”と怒鳴って劇場の外から舞台袖まで走らせたことがありました。ベートーヴェンが演奏家に求めているffやpp(ピアニッシモ/とても弱く)も一緒で、単なるテクニックではなく、真剣さが求められているんだと思います。蜷川さんの存在が僕のベートーヴェン像に影響を与えているのは間違いないですね」
ここがスゴいよベートーヴェン!
交響曲で更新されていく
未知の世界!
「ちょっと渋いのですが、交響曲第4番の始まり方がスゴいです。想像するに、当時の聴衆がこの音楽を初めて聴いた時、“この音楽はどこに行ってしまうんだろう⁉”と感じたんじゃないかな。演奏家と聴衆が一緒に、まったく知らない世界に入っていくかのような印象を受けるんです。そして、ベートーヴェンも自分自身を裏切っているかのよう! それ以前の交響曲と比べていくと、彼自身の音楽観を更新していくやり方が実に鮮やか」
室内楽で繊細な演奏を生み出すために。
何年か前、僕が弦楽四重奏曲を書いた時に、チェロのパートで開放弦(左手で弦を押さえることなく、そのまま弾くこと)で長く伸ばす音符をpで書いたんです。そうすると、チェリストは表現のためにできることが普段より少なくなるわけです。でもその分、神経を使って演奏しようとする。こうした考え方はベートーヴェンに学びました。実際、彼のチェロソナタ第4番で、チェロが似たようなことをさせられている部分があります」
ベートーヴェンの音楽は、今も最前線!
「美術においては画家が描いた絵画を直接見ることができますが、音楽の場合は作曲家が書いた楽譜自体からは音が出ません。常に誰かが“今”演奏しなくてはいけないんです。そこまで含めて作品とするなら、クラシック音楽は常にコンテンポラリーといえます。反対に演奏されなくなっていく音楽は過去の作品と見なされてしまう。クラシックの中でもとりわけ演奏される機会の多いベートーヴェンは常に最前線にいるといえますね」
ベートーヴェンの代表曲いろいろ。
オペラ&声楽曲
オペラは1600年前後にイタリアで生まれ、後に各国へ広まった。ベートーヴェンのオペラは歌と歌の間を芝居で繋ぐジングシュピールという形式をとる。宗教音楽としてはミサ曲を2つ書いているが、「第九」と双子の関係にある「荘厳ミサ曲」が重要な作品。
●オペラ『フィデリオ』作品72(1814年)
●荘厳ミサ曲ニ長調 作品123(1823年)
●連作歌曲「遥かな恋人に寄せて」作品98(1816年)
協奏曲
現在の協奏曲は、正確には「独奏協奏曲」と呼ばれ、ソリスト(独奏者)とオーケストラが対話しながら演奏していく演奏形態。19世紀半ばからは、超絶技巧を押し出した派手な曲目が主流となっていく。「カデンツァ」と呼ばれる独奏者のみによる演奏も聴きどころ。
●ピアノ協奏曲第4番ト長調 作品58(1806年)
●バイオリン協奏曲ニ長調 作品61(1806年)
●ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 作品73(1809年)
交響曲
もとはオペラにおける歌のない部分を「シンフォニア」と呼んだことに由来し、それが独立して拡大。イタリアからドイツに輸入され、全4楽章形式に標準化。ベートーヴェンにより作曲家が心血を注ぐジャンルへと深化。なお「交響曲」と邦訳したのは森鴎外。
●交響曲第3番変ホ長調「英雄」 作品55(1804年)
●交響曲第5番ハ短調「運命」 作品67(1807年)
●交響曲第9番ニ短調「合唱付き」 作品125(1824年)
弦楽四重奏曲
2つのバイオリン、ビオラ、チェロによる合奏形態。18世紀後半に登場し、ハイドンが基本形を確立した。ベートーヴェンも生涯にわたって作曲しているが、特に亡くなる前の数年に集中的に書いた傑作群は、ベートーヴェンの到達点として別格の扱いを受けている。
●弦楽四重奏曲第7番ヘ長調「ラズモフスキー」 作品59-1(1806年)
●弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 作品131(1826年)
バイオリンソナタ
現在では、バイオリンソナタと呼ばれることが一般的だが、本来のタイトルは「バイオリンが必須のピアノのためのソナタ」もしくは「バイオリンとピアノのためのソナタ」、つまり2つの楽器の関係は対等。ベートーヴェンの曲は、その関係を協調した作品が多い。
●バイオリンソナタ第5番ヘ長調「春」 作品24(1801年)
●バイオリンソナタ第9番イ長調「クロイツェル」 作品47(1803年)
ピアノソナタ
本来、ソナタとは単に「器楽曲」という意味。18世紀後半のドイツで急―緩―急の3楽章構成が確立され、交響曲のような4楽章のソナタも多く書かれた。第1楽章で使われた構造は、後にソナタ形式と呼ばれ、クラシックを作曲する際の中心原理になっていった。
●ピアノソナタ第8番ハ短調「悲愴」 作品13(1799年)
●ピアノソナタ第23番ヘ短調「熱情」 作品57(1805年)
●ピアノソナタ第31番変イ長調 作品110(1821年)