大胆な行動と冷静な計算で、
ゴールへの最短ルートを突き進む
アメリカのビルボードR&B/ヒップホップチャートで1位(2021年1月)を獲得したリル・ダークのアルバム『The Voice』。このアルバムの表題曲には、日本人プロデューサー、作曲家のトリル・ダイナスティが参加している。地元・茨城でDJとして活動を始めてから約10年。作曲を始めてから4年という、短期間でブレイクした超新星だ。
「2017年頃。DJ活動に満足し、身の引き際を考えていた時、今も一緒に活動する後輩のDOWGから“音を作ってみてください”と言われたんです」
その当時は、茨城のヒップホップシーンが衰退していた頃。トリル自身の根本にあったヒップホップカルチャーの定義を思い出したという。
「アメリカのラッパーは成功した時に、よく地元の学校や施設に寄付をするんですよ。自分でも地元になにか還元できることがないかと考え、作曲家として成功しようと思い立ちました。しかし、25歳からのスタートだったので、とにかく時間がない。最短で知名度を上げるなら、国内でちまちまとキャリアを積むより、まずはアメリカで一発当てて、ビルボードに入るようなアーティストと仕事をしようと考えました。
ゴールは決まったので、あとは逆算して最短ルートを導き出して。とにかく勢いのあるリル・ダーク、マネーバッグ・ヨー、リル・ベイビーに的を絞り、3人の楽曲に関わる作曲家やスタッフの名前を調べ、Instagramのアカウントをエクセルでデータベース化して、DMで音源を送りまくりました」
その大胆な行動力には驚かされるが、メインの大物作曲家ではなく、彼らのアルバムに3曲ほど参加している中堅プロデューサーに狙いを絞ったという冷静な一面も持ち合わせている。そしてデータベースを使ったPRは、当時勤めていた会社の製造管理課で身につけたもの。仕事を終え、毎晩19時頃から音楽制作に没頭。明け方4時頃になると、その日にできた楽曲を日報のように送り続けたという。
「年末年始も続け、休みは過労で入院した4日くらい(笑)。その生活を約3年続けましたね。気がついたらビートのストックが2000曲ほどになっていました。制作が進まない日もあったけど、止まることはクリエイティブじゃないと思い、とにかく作りまくって」
そんなストイックな生活を1年ほど続けたある日、現在はヤング・ボーイのメインプロデューサーになった人物から、初めての返信があった。
「“しつこいぞ!”とメッセージが届いたので、すかさず音源を送りました。さらに“いい加減にしろ!”と来たので別の音源を速攻で送ったところ、めちゃくちゃ心を開いてくれて(笑)。魂をこめたものなら、わかってくれるんだっていう。DMで大量に曲を送ってくる日本人は珍しかったというのもありますが、熱量があるかないかでふるいにかけるような印象があります」
それを機に作曲家やプロデューサーの仲間が増え、リル・ダークの『The Voice』の制作へ繋がっていった。また、成功の要因はほかにも。年始にホワイトボードへその年の目標を書き、毎日自分に言い聞かせることだ。
「最初は“ポテトチップスを食べない”とか、小さなことから始めて(笑)。どんどん大きな目標にしていって、今はアメリカでの目標が“ゴールドセールス3回”“プラチナセールス2回”“リル・ダークが所属してるOTFのメインプロデューサーになる”。それから日本では“地元の地域活性化”です」
昨年就任した地元・茨城県の観光大使の立場を使い盛り上げていきたいと語る。さらにラッパーやDJの後輩たちの活躍もあり、現在では茨城のシーンが再び活発になった。そしてトリルは、DMを送る側から送られる側に。
「ある日本人の作曲家の子から、毎月1回くらい曲が届くんです。今の自分の立場から言えることは、毎日300通とかメールが届く中で、月に1本では少なすぎて話にならない。毎日送ってきたら、メールを見る時にリストの一番上にあるかもしれない。球数を打つということは、見てもらえる可能性が上がるということ。打率は悪いけど、とにかく打席に立ちまくる。単純なことだけど、それが大事かもしれません」
TRILL DYNASTYのビート提供楽曲
次を生み出す仕事術
1:目標を決め、最短ルートを計算して突き進む。
2:年始に、ホワイトボードに今年の目標を書く。
3:音はクリック入力せず、必ず鍵盤を叩く。
4:地元に還元する。
5:売り込み先に嫌われても、認知されていると考える。