なぜかいつも静かな時間が流れていた、かつてのワインバー
お店のひとと、別のお店に行くことがある。
それはべつにともだちになるというわけではない。
お店のひとと客との関係は、まず原則的にお店のなかでのものであって、そこには金銭を介した一種の利害関係がある。よく「ともだちにお金を貸すな、貸すならあげたと思って忘れろ」みたいなことを言うけれど、それは要するに、大きめの利害関係や貸し借りが生じると「フェア」な関係ではいづらくなるということだ。
ひと同士の関係が、いつもずっとフェアであることはありえない。ちょっとずつ甘えたり甘えられたり、貸したり返したりしながら、トータルでのバランスをとって関係性を営む。一方が、負担を感じているのは自分ばかりではと思い、それを抱えこんでしまったなら、その関係は長く続かないだろう。
そういう意味で、お店のあるじや店員とお店以外のところで会って呑んだりするのは、かなり繊細で慎重なバランス感覚が問われる。お店の側は、どうしたって客に気をつかってしまうものだ。客側が、あくまで個人としてフェアにつきあいたいのならば、逆説的にどれだけ客として気をつかわせており、その関係が(少なくともスタートの時点で)まったくフェアではないことを、その意味を、よくよく理解してふるまわなければならない。
だから、お店のひとと気軽に仲よくなろうとは思わない。それでもなお、めったにないくらい気が合ったり、いっしょに行きたい(紹介してほしい/紹介したい)お店があったりするとき、相応の時間と覚悟をもって仲よくなることが、たまにある。
そんなふうに仲よくなったひとりに、ある時期もっとも通っていたお店をひとりで切り盛りして、コロナ禍で次のステップに踏み出すことを決めて十年続いたお店をさっと閉めたシェフ兼ソムリエがいる。
大阪の上本町にあった、ひとりで入るのがいちばんしっくり来るような全十席程度の美味しいイタリア料理を出すワインバーだった。わたしはいつもカウンターにひとりで座り、ワインをおまかせでもらいながら、来るたびに少しずつ変わる前菜盛り合わせと、ときおりパスタをお願いしていた。
いつも静かな時間が流れるお店で、おとなびた気配があった。カウンターの並びで会うお客さんたちも、みな魅力的で、おとなだった。当時わたしは30代前半くらい。たぶん、常連客としては最年少の部類だったと思う。
もともと同世代や年少世代が多いようなにぎやかなお店は好みではなく、ひとりで呑み食べするのが習慣だったけれど、そんなわたしにもややハードルが高く、ちょっと背伸びして通うようなお店だった。そして、そこになじめる自分になりたいなと思うお店だった。
よいお店には、そういう予感がある。
出会った時点でもう七年も営業しているお店で、その雰囲気はしあがっていた。いつも暗めの照明にゆったりした音楽が小さめの音量でかかっていて、客はひそひそとしゃべり、調理から提供までひとりでこなす店主の動作はいつも優雅で、ゆったりしていた。せかせかとも、きびきびともしていないのに、提供はいつもスムーズに感じられた。それは会話のリズムもあったのだろう。
初回は緊張したし、当然ながらこちらの間合いと、お店との親和性を見計らう店主との会話はちょっとだけぎこちなく、紹介してくれたひとや共通の接点があるはずのお店に言及しながら、その日はそんなに話し込むこともなく退店したと思う。
それでもここはきっと……と思い、間をあけずに次の訪問をした。カウンターひとり客が多いお店だったから、予約必須というわけではなかったけれど、事前に電話連絡はしたはずだ。店主ひとりでやっているお店に突然入っていって歓迎されうるのは、よほど顔の見える関係にあり、いつ来てもおかしくない常連だけである。
それからコロナ禍まで二年ちょっと。その時期いちばん通ったお店であることはまちがいない。コロナ禍でのテイクアウトや酒販など、さまざまな試みにつきあったこともあるし、おなじく先の見えないパンデミックのなかでカウンターを挟んだのとはまたちがう間柄になったのかもしれない。いっしょにお花見をしたり、お酒を呑みに行ったりもするようになった。

音楽、所作、会話……お店という空間には、個々のBPMがある
けっきょくお店がちょうど十周年を迎えるタイミングで軽やかに閉じることを決められ、店主は公邸料理人として海外に発っていった。それから数年ぶりに帰国した彼と再会して、共通して知っているシェフのお店に行き、美味しい食事を食べ、お酒を呑んだ。楽しく、美しい夜だった。
お店を出て、ほろ酔いでふたり夜道を歩きながら、彼がふと言った。
「朱さん、知ってますか?お店には、それぞれのBPMがあるんですよ」
さりげないそれは、数年越しになる魔法の種明かしだった。
十年続いた名店、わたしにとってそれまで通ったなかでも屈指の「よいお店」にかかっていた魔法のタネを、あのころ魅了されていた魔法使いから直接聴いたような心持ちになった。
BPMとはBeats Per Minuteのこと。つまり「一分間で鳴る拍数」を指す。BPM60なら毎秒1拍、120なら2拍で二倍の速度になる。音楽用語としては「テンポ」であり、その空間で鳴っているビートの速度だ。たとえばクラブDJは、このBPMを操作しながら、場を盛り上げたり、クールダウンさせたりする。一般的に、拍数が多い(テンポが速い)ほうが盛り上がり、少ない(遅い、ゆっくりしている)ほうが落ち着きやグルーブが生まれる。
お店はたいてい音楽をかけている。家電量販店とか、圧縮陳列で知られる物販店など、大手チェーンではオリジナルの音楽をかけていることも多い。それらはたいていアップテンポで、テンションを高め、購買意欲を促進させるため、煽るようなテンポと単純なメロディの繰り返しで、お店にいる時間感覚を麻痺させる。
本屋や服屋は、そうでもない。無音であることもあるだろうし、かかっていてももう少しスローテンポで、リラックスして店内にいてもらうことが目的になるだろう。
飲食店、それもアルコールをともなうお店については、いろいろな戦略がありうる。客がごった返す立ち呑みならきっとアップテンポに、コース提供するフレンチならリラックス感のあるスローテンポになるだろう。店のあるじが過去の経験とセンスを総動員して、どんな音楽をどうかけるのか、それも個人店のおもしろさのひとつだ。
しかしその夜、魔法使いがわたしに教えてくれたのは、そういう話ではない。
お店には、個々のBPMがある。かける音楽のテンポや音量は、それを操作するためのひとつの手段でしかないのだ。店員の動作、声かけ、返事の間、食事や飲料の提供のタイミング、目が合う・合わない、あらゆるところで、お店のBPMは変わってくる。
お店側がコントロールしづらい、しかしお店のBPMが決まってくる最大の要因となるのは、客の会話のテンポだ。店主としかしゃべらないカウンターひとり客や、テーブルで二人客がひそやかにしゃべるような場合はさておき、二、三人のグループでやってくる客が多い「酒場」寄りのお店の場合には、そのグループごとに会話が盛り上がり、それらは混ざり合ってビートを刻み、お店のBPMを加速させる。
そのように設計されたお店で、アップテンポに入り混じる会話のビートに乗りながら、杯を次々空けるような夜も、もちろん楽しい。とくに自分自身も会話に乗っているならばなおさらだ。けれど、楽しかったお店を出て、ふっと疲れている自分に気づくことも、ある。もうひさしくないけれど、20代の頃に夜通しクラブにいて、朝方白みはじめた空のもとに出てきたときのあの独特の倦怠感に、それは似ている。
いまはもうクラブに行かないように、速いBPMのお店にもあまり行かない。ときどきはよいけれど、やはりお酒にもお料理にも、一杯一杯一品一品、ちゃんと向き合って真剣に味わいたい。

ハイテンポな現代で、ゆるやかなBPMを刻むことの有り難さ
その夜、魔法使いが教えてくれたことには続きがある。
お店のBPMを上げるのはそうむずかしくないけれど、落とすのは簡単ではないのだ、と。彼の魔法は、そこにあった。ほうっておけば、どうしても上がってしまうお店のBPMをどう落とし、理想的なテンポを保つことができるか。食器の上げ下げ、調理の際の動作、そして店主との会話のやりとりまで、じつに微に入り細を穿つテクニックがそこにはあった。
思い返せば、かつてのお店でカウンター越しに彼に話しかけたとき、いつも返事までに一瞬のタイムラグがあった。聴こえてるのかな、もしかしたら余計なことを言ったかも、とちょっとだけ不安がよぎるかよぎらないか、それくらいの刹那の呼吸を待ってから、落ち着いたトーンの声で返事をしてくれていた。それは数限りない魔法の種のほんの一端だけれど、そうやってお店の時間を、BPMを操っていたのだ。
比喩ではなく、じっさいに音楽の場合にもゆったりしたテンポは、速いテンポよりもむずかしい。演奏者にテクニックさえあれば、速く弾くぶんにはむしろ楽なのだ。遅いテンポに耐える演奏をするのは簡単なことではない。ゆったりしていれば、それだけ観客は聴き入ることができる。不調和やミスもどうしても目立つ。ゆっくり弾くには、それだけ間(ま)に耐えるように、鳴らしている音が美しくなければならない。
ゆっくりとしたテンポを保つには、さまざまな工夫がいる。たとえば、式典や宗教儀式を思い描いてほしい。ああした場では、皆がゆったりと動く。アップテンポの讃美歌というものはもともとのキリスト教文化には、存在しない。儀礼的なフォーマルさ、荘厳さや宗教性といったものは、テンポのゆるやかさに宿る。参列者や信者をアップテンポで高揚させ、一種のトランス状態にもっていくことも宗教的儀式ではありうるが、そうした場合には警戒が必要になるだろう。
服屋だってそうだ。「これもう最後の一着なんです」「セール期間は今日までなので」と購買を煽って、BPMを上げようとするショップは、あまり好きではない。とくにコロナ禍以降だと思うが、いまではシーズン末に売り尽くしセールをせず、そのお店のスタイルとして何年もかけて服を売るショップが増えているように感じる。ブランドも、毎年コレクションをやって昨シーズンの服を過去のものにするのではなく、数年かけて世界観を構築し、シーズンを跨いで合わせられるような展開をしてくれるところが、目立ちはじめている。
いまスマホで常時接続されているわたしたちは、個別のお店に入らなくたって、いつも無数の声が響き合い、重なり合ってハイテンポなBPMを刻む世界で生きている。だから、むしろ「お店」には、スローダウンできることを潜在的に求めているのかもしれない。センスのよいお店は、そんなニーズに応えているのかもしれない。

「通いたい」と思うとき、私たちはお店のピッチと響き合っている
お店のBPMを意識して測りはじめてから、お店にはじつはもうひとつ音楽的要素があるとも思うようになった。この話は、次にまた魔法使いと呑むときにとっておこうと思っていたのだけど、どうせ読んでもらうのだから先に書いてしまおう。それは、テンポと並んで音楽を規定する大きな要素である「ピッチ」だ。
ピッチとは「音高」のことだが、それは要するに音の周波数を指している。たとえば「ラ」の音は、現代では440ヘルツで合わせる。オーケストラが演奏前に、コンマスの鳴らす音程に合わせて音を揃える、あれだ。それを「ピッチを合わせる」という。調律・チューニングもそういう行為だ。楽器には、それぞれのピッチがあって、個体ごとにちょっとずつ異なり、放っておくとずれてしまう。だから調律が、ピッチ合わせが必要になる。
数多くの哲学者のうち、おそらくもっとも音楽に精通している人物のひとりに、スタンリー・カヴェルという20世紀アメリカの哲学者がいる。カヴェルはなにせ、あのジュリアード音楽院で作曲を学んでいたのだから、現代の哲学者としては突出して音楽に通じていると言ってよい。
そのカヴェルが、哲学者には、そしてあらゆるひとには、それぞれ固有の「ピッチ」があるのだ、と言っている。それは要するに各々の人生が異なっているということで、自分自身を語るときに誰もがそれぞれに異なる〈声〉で話さざるをえないのだ、ということだ。『哲学の〈声〉』と訳されたその本で、〈声〉の原語は音楽用語の「ピッチ」なのである。
それぞれが、それぞれに異なる人生を生きている。私たちの誰もが、微妙にちがう高さの肉声をもっているように。あるいは、個々の楽器がその作られ方や保存のされ方によって、まったくちがうピッチになってしまうように。
お店には、それぞれのBPMが、テンポがある。そしてまた同様に、それぞれのピッチが、すなわちお店のあるじたちの人生が、ある。だから、お店に入り、そのお店になじみたいと思うかどうかは、そのときの自分にとって居心地のよいテンポなのかというだけでなく、そのお店に体現された、あるいは店のあるじの言葉や動作に宿る、そのひとの人生、すなわちピッチであり〈声〉に、自分が共鳴するのかどうか、ということでもある。
もちろん、お店のあるじたちは、テンポだけでなくピッチについても、ある程度は客に合わせようとチューニングしてくれるかもしれない。しかしそれは人生であり、生き方だ。もっている音と、まったく違うように響かせ続けることはできない。
お店に通うということは、そのお店のテンポを測り、楽しむことであると同時に、その店のあるじの生き様を、ピッチを感じとり、それと響き合うように自分の音を鳴らすことでもある。その響きが調和しており、あるいは不調和さに美しさがあり、そういう音を出したいと思えるお店は、きっと自分に合っているだろう。
誰もがもつちょっとずつちがうピッチを、ちょうどオケの開演直前のように、ちょっとだけ合わせる。チューニングのようなやりとりをして、あ、このお店はこんな音程でいくのね、いいね、自分も合わせるよ、と思う。それは、美しい音楽が鳴りはじめる前の予感に似ている。
いまはない上本町のあのお店の、魔法がかかっていたような独特のスローテンポを、あの暗がりを思い出す。そして、やっぱりカウンターを挟んで感じていた彼の生き様を、人生への姿勢を。
そう、テンポだけではない。あなたの人生をおもしろいと思うから、その〈声〉に響き合うようにありたいと思うから、あのお店に通っていたんですよ。あのお店にあった特別なものは、あなたがかけていたテンポの魔法だけじゃないんです。僕があなたから感じ、あなたに共鳴した、そんなピッチにもあったんですよ、と。
今度会えたときには、──だいぶ酔っ払って気恥ずかしくなくなってから──そんな話をさせてください、安藤さん。
