ワールドシリーズでドジャースがヤンキースとの熱戦を繰り広げていた2024年10月末のある夜、ロサンゼルスのグラミー博物館では、ある映画の特別上映が催されていた。
『Ryuichi Sakamoto | Opus』。2022年9月、坂本龍一が東京のNHK509スタジオで8日間にわたり収録した20曲の演奏を記録したコンサート映画である。上映前のパネルディスカッションには、坂本を敬愛するふたりのクリエイターが駆けつけた。超満員となった観客席を前に、音楽プロデューサーのフライング・ロータスと『ムーンライト』などで知られる映画監督のバリー・ジェンキンスが静かに語り出す。
——おふたりはどんなふうに坂本さんの音楽と出合ったのでしょう?
バリー・ジェンキンス
映画学校を出たばかりの頃、僕はケーブルテレビの映画チャンネルを毎晩のように観ていたんだけど、ある晩、サムライ映画がやっていてね。ふたりの侍が決闘するシーンの音楽が信じられないほど素晴らしかったんだ。それが、坂本が音楽を担当した『御法度』だった。すぐにeBayでブートレグのDVDとサントラCD-ROMを買ったよ。当時アメリカでは劇場公開はされていなかったし、SpotifyやiTunesもなかったからね。
フライング・ロータス
俺の場合はもっとランダムだった。音楽をディグしていくなかで「これなんだっけ?知ってるぞ。めちゃくちゃヤバいな」って瞬間が何度もあったんだ。レコードからサンプリングを試みようとしたこともあった。深く聴いていくなかでわかったのは、龍一の音楽にヒップホップのイズムがあるってこと。どんなメロディックな映画音楽にもヒップホップを感じさせるビート感覚があるんだ。それは彼のルーツに由来しているんだろうね。
バリー
僕も彼の音楽には何度も驚かされた。たとえば『御法度』のサントラには『Opus』で演奏されているような美しいピアノのパートがある一方、『レヴェナント』で使われているような激しいサウンドもある。一枚のアルバムでそうした豊かな旅に連れて行ってくれるんだからね、素晴らしいというほかないよ。
フライロー
『レヴェナント』の音楽は俺も好きだよ。
バリー
兄弟、頼むから『御法度』を観てくれ。どんな映画もあの映画には敵わないから!

——実際に対面したときの話も聞かせてください。どんな方でしたか?
バリー
僕が直接会ったのは一度きり。『ビール・ストリートの恋人たち』の上映会に来てくれてね。とてももの静かで、素敵な人だったよ。
フライロー
そう、彼は静かなんだ。2019年に約1週間、俺の家にあるスタジオで一緒に音楽をつくったことがあった。俺の家はいつもビートが響いていてうるさいんだけど、彼はそこに静寂をもち込んだんだ。お気に入りの線香と一緒にね。
レコーディング中に忘れがたい事件もあった。俺のストリングス担当のミゲル・アトウッド=ファーガソンと一緒にいたある日、龍一が家に来てね。彼はスタジオに置いてあるピアノを見ていたんだ。赤と黒の美しいスタインウェイをね。俺は一瞬のうちに、彼がしようとしていることを理解した。ピアノを弾くと思ったんだ。そう思うだろ?でも、違った。
龍一は鍵盤に触れるより先に俺の相棒をこじ開けて、弦をいじり出したんだ。まるでプリペアードピアノみたいにね。俺はミゲルを見て「一体何が起きてるんだ?」と目配せしたよ。ミゲルは「落ち着いて、大丈夫だから」ってジェスチャーをしてきてさ。「ホントか?」って訝しんだよ。そしたら案の定、すげえ奇妙な音が鳴り出したんだ(笑)。
バリー
ハハハッ。
フライロー
スタインウェイは俺の所有物のなかでいちばん高価な物なんだ。後にも先にも俺のピアノをそんなふうに扱ったのは龍一だけだよ(笑)。

——坂本さんの作品からはどんな影響を受けましたか?
バリー
音の間にある余白や沈黙の力を学んだよ。たとえば、『御法度』は坂本が監督しているわけではないけれど、映画の受け取り方を方向づけているのは彼の音楽なんだ。『ムーンライト』を監督するとき、僕はこれまで観た映画から得たものを一切合切注ぎ込もうとした。オリジナルの劇伴を使うのも初めてでね。劇伴を担当した作曲家のニコラス・ブリテルには『御法度』の劇伴のすごさを伝えたよ。キャラクターや物語から自然と立ち上がってくる坂本の音楽のありようをね。
フライロー
音楽でいえば、俺は彼のメロディーの感覚が好きだね。クリシェを演奏することもある。でも龍一はそれを承知のうえでやっていて、かつ効果的なんだ。自分の立ち位置やリファレンスを把握したうえで、「ここでセロニアス・モンクを入れよう」って具合にやるんだ。
晩年にたくさんの時間を一緒に過ごしたけど、彼はかなりのジャズ好きだったね。ビートに精通していて、同時に未来派でもあった。最新の音楽も詳しかった。龍一は自分が生きた同時代のさまざまな音楽からインスピレーションを得ていたんだと思う。
バリー
ピアノは物憂げでありながら攻撃的にもなれる。僕はそれを坂本の1998年の『Discord』で教わったよ。このアルバムには「悲しみ」や「怒り」「救済」といったトーンがある。自分の映画でも同じような感情の動きを生み出せたらと思うよ。
フライロー
映像を見ると、若い頃の龍一の演奏はスピーディで派手なんだ。「自分が何者であるかを証明しなければならない」と急き立てられているかのようにね。ジェイコブ・コリアーさながらのショーマンといった感じでさ。だけど後年になると、彼の音楽はシンプルで意図的なものになっていった。余計なものはない。必要なものだけ。それって自信があればこそだろ?もう速く弾く必要はなかったんだ。すげえイカしてるよ。

——おふたりは『Opus』はどうご覧になりましたか?
バリー
こんな映像、ほかでは観たことがないね。ここはロサンゼルスだから、マジック・ジョンソンを例に語ろう。
たとえば、彼が余命1年と知り、ステープルズ・センターに映画監督の息子を連れていき、照明でライトアップしたコートで完璧なシュートを決める。あるいは死期を悟ったアレサ・フランクリンが最高の撮影クルーを集め、無観客のアポロ劇場で5日連続でアリアを歌う。そうやって撮影されたパフォーマンスを彼らの死後に観ることを想像してみてほしい。『Opus』というのはそういう映画なんだ。
フライロー
実は、俺はまだこのドキュメンタリーを観れていないんだ。彼の死を受け入れる準備はしているつもりなんだけど。でも、なんていうか……。完全に打ちのめされたわけじゃないけど、一緒につくっていた音楽もいまだに完成させられなくてさ。ニュージーランドでミックスダウンをしている最中に訃報を聞いて、その瞬間にすべてが止まったよ。それ以来、彼の音楽も一切聴いてない……。
でも、映画の概要を知って、J・ディラの『ドーナツ』を連想したよ。彼はそのアルバムの大半を病院のベッドでつくったんだ。残されたエネルギーのすべてを注ぎ込んでね。
バリー
この映画は美しい遺言なんだよ。僕たちクリエイターはみな何かを創造するけど、つくったあとは誰かが受け取ってくれることを願うしかない。『Opus』を観たとき、僕は坂本がいた証しを、彼の似姿のような映像として受け取ることができて、すごく嬉しかった。それにしても、坂本龍一についてアメリカ出身の黒人ふたりが話すなんてドープ(最高)だよね。でも筋は通ってる。だって、坂本の音楽はドープなんだから。
フライロー
だね!