櫛野展正
人間って完璧な存在はいないじゃないですか。誰でもみんな多かれ少なかれダメな部分や闇の部分を持っているから、そこに共感しちゃうんですよね。
星野概念
普段、明るみに出るほど特異なダメさではないにしても、どこかに不完全な部分はありますからね。その極端な例が映画になっているのかもしれません。櫛野さんも挙げていましたが、『ナポレオン・ダイナマイト』(*1)は僕も好きですね。高校生なのに幼稚園バスで通学していたり、食べ残しのハッシュドポテトをポケットに入れていたり、クラスでは絶対にメインキャラにならないような、冴えない主人公に光を当てているのがすごくいいなと思った。
櫛野
主人公が生徒会長になりたい友達のために踊ったダンスが絶賛されて、思いがけずイケてない友達を当選に導くんですよね。僕は、主人公にその恩恵がほとんどないっていうのも、好きですね。最後、いつものようにボールをパンチして一人で遊んでるシーンに、同じくイケてない側にいた女の子が寄り添っているというだけで。世界は劇的には変わらないけれど、理解者が一人だけ増えた、そういうささやかな設定がいいな、と。
星野
別に、脚光を浴びようとして踊りを練習していたわけじゃないし、それ以外はぜんぜんダメ。なのに、たまたまそういうやつの特殊技能が物語の中で評価されると、コイツ頑張ってたんだよ!ってなんか嬉しくなるんですよね。
櫛野
幼少期からお金を数えるのが好きだった『ひみつの花園』(*2)の主人公も、周囲には決して理解されません。彼女はお金が好きすぎるあまり、車ごと湖に沈んだ5億円のために、スキューバダイビングやロッククライミング、さらには地質学まで勉強してお金を得るんですが、結局、使い道がわからない。実はお金より、冒険が好きだったっていう結論に話がすり替わるのが面白いんです。
星野
お金が好きすぎる設定もいいですね(笑)。自分でも理由がわからずに、駆り立てられるものに忠実に生きているところは、ナポレオンのダンスとも重なります。
星野
グリズリーに遭遇しながらも無傷で助かった男が、もう一度熊に会うために命懸けで“対熊スーツ”を開発する実話『プロジェクト・グリズリー』(*3)もそうですね。7年がかりで150万ドルを注ぎ、どんな火力や吹雪や攻撃にも耐えられるスーツを完成させるんですが、いざグリズリーに会いに行く時に彼が選んだのは、熊が冬眠中の冬。そこは違うだろ!と思いますが(笑)。
結局雪で身動きが取れなくなり、4日目で中止に……。違う季節に再トライするのかと思いきや、なぜかスーツを改良してネットで売る方向に目的がすり替わってしまう。
星野
それが実話ってすごいですよね。好きが高じて、ものすごく極端なところに行き着くのもいい。敵わないなーって感じるというか。
櫛野
中途半端でない突き抜けたダメさを持ってる人ってブレないですよね。みんなと違う評価軸で生きているのにも憧れます。もう一つの自分の人生を代わりに歩んでもらっている気がしますね。
ここでない世界の常識では、ダメではない可能性もある
星野
チームの中のダメなやつも好きなんです。『特攻野郎Aチーム』(*4)では図体こそデカいのに高所恐怖症で飛行機に乗れないやつや、飛行機が好きで無駄にぐるぐる回ったりするやつがいて、チームに迷惑をかける。でも、そんなダメなやつにも活躍の場が用意されている。『オーシャンズ』(*5)でも喧嘩の絶えない兄弟がみんなの足を引っ張るんだけど、最後は喧嘩のおかげでチームが任務を全うできる。そういう極端なやつらに価値を見出せるリーダーがちゃんと存在するんですよね。
櫛野
そういう理解者がいないと、『タクシードライバー』(*6)みたいに、ダメなやつが暴走したりもしますからね。『自虐の詩』(*7)の夫婦も、ヤクザ上がりの旦那がすぐちゃぶ台をひっくり返すような人で、一見不幸せそうなんだけど、当の本人たちは理解し合って幸せを感じている。幸福って必ずしも僕らが思う一般的な定義だけで片づけられないんですよね。
星野
社会の大多数の常識からかけ離れていても、独自の価値観の下で幸福に生きている人もいる。ウェス・アンダーソンは、そういう少数派の存在に気づかせてくれる監督でもありますね。『ライフ・アクアティック』(*8)に登場するボスも、欲望に誑かされて仲間を窮地に追いやったりするんですが、潜水艦の中の狭い世界では、一部の乗組員に慕われるいいやつだったり。
ウェスの映画は、話の大筋とは関係ないどうでもいい脇役に、いきなりウィレム・デフォーとか、演技派の名優を配役したりして、わざと目が行くようにしているのもいいんですよ。
櫛野
それぞれが置かれた環境によって、価値観も違ってきますね。ダメなやつだってもしかしたら一概にそうとは言えなくなる。『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』(*9)みたいに、社会と断絶して撮り続けていた写真が、急に日の目を見たりすることもあるし。
星野
『不思議惑星キン・ザ・ザ』(*10)では、いいことが「クー」で良くないのが「キュー」くらいの言葉しか持っていない惑星に、いきなり現代人が飛ばされるんです。最初は戸惑うんだけど、常識が通用しない世界で交流しようと歩み寄るに連れ、理解が生まれてくる。いわゆる社会的常識から外れた世界にもいろんな人がいて、それぞれの価値観で暮らしている。ダメなやつが最高の映画には多様な人が互いに認め合い共生するためのヒントがあるように思います。