愛って、行動せずにはいられない
「以前は短歌をやっていると言うと、それだけで変人のように思われていたんだよ」。先輩歌人に会うと、よくそのような話を聞く。私が短歌に出会った時はもうそのような雰囲気はなく、むしろ短歌を作っていることは「人と少し違っていてカッコいいもの」みたいになっていた気がする。
仮に今、「短歌やってるなんてダサい」という風潮が蔓延していたら、私は短歌を作っていただろうか。さらに、例えば自分がインターネットのない無人島に飛ばされて、誰からの反応も得られない状況だったとして、それでも私は作品を作るのだろうか。承認や称賛を得るための手段として短歌を利用してはいないか。そういう考えに頭が支配されそうになった時、いつもこの映画のことを考える。主人公のジェームスはいつだって自分の「好き」や「作りたい」気持ちに真っすぐで、そこに社会や法や人の顔色は関係ない。社会的地位や関係性に関わらず、親だって友人だって刑事だって誘拐犯だって、対等な作り手として、人間として見ている。一応作中では、ありのままのジェームスが家族や友人に認めてもらえたことで物語が進んでいき、それも確かな愛なのだけど、ジェームスが持つ『ブリグズビー・ベア』への愛と熱量に比べたら、もはやそれらは瑣末なことにも思える。
こんなに真っすぐに作品を愛し作ることができたら、どんなに素晴らしく、気持ち良く生きられることだろう。