2度目のロックダウンが続く欧州。しかし春に行われた初回に比べ人々はおおむね落ち着いている。
「ヨーロッパの人たちは、規制がない限り自由に生きる精神の持ち主がほとんど。だからマスクはしたくないしパーティもやる。その結果感染が拡大しました。今は各国で法律を決めて対策を取っていますが、ドイツの場合、注目すべきはその決定の過程が透明なことです。つまり政府が説明責任を果たし、質問にもしっかり答えている。
決定の基盤となっているのは免疫研究所や科学アカデミーなどの科学者による研究結果です。専門家の意見を政府が尊重するという形は完全に守られているし、学者がどんな意見を言ったかも国民に伝えられている。しかも、メルケル首相も学者も非常にわかりやすい言葉で説明しています。
一方日本では、政府の説明が私でもわからないほど複雑で不明瞭だし、学術会議の会員候補の任命拒否問題を見ても、逆に政府が学者の言うことを決めるという信じられないシステムに移行しつつあります」
感染者の増加が緩やかな日本では、この国特有の自粛マインドや同調圧力が抑制に一役買っているのは間違いない。その半面、この集団主義は誰もが周囲の意見に流されがちで、間違った方向に進んでいても止まれない危険性をはらむ。
遠く離れたドイツから、コロナ禍であらわになった日本の現状や変化に警鐘を鳴らしているその作家自身も、大きな変化の波に呑み込まれて、“越境する作家”と言われてきたのに、旅どころか移動もままならない状況にある。
「それがパンデミックのせいで、自分は家にいるのが好きな人間だと判明してしまいました(笑)。夏の間ずっと家にいたら、久しぶりにドイツ語で小説を書き下ろせたんです。ドイツ語で書くには集中する時間がかなり必要なのですが、それができたので満足しています。
そもそも私がものを書くようになった端緒は、子供の頃に言葉というものが不思議だと思ったこと。生きているように見えたり、言葉を一つ言っただけで人が動揺したり喜んだりする、その不思議な力に惹かれました」
その不思議さを最も強く感じたのは、中学で初めて英語を習ったときだという。違う言語があることに驚き、関心を持った。それで外国語を習うことや外国文学から、ものを書くことや物語の生まれる不思議さに繋がっていった。
「ドイツに移住し、ドイツ語やドイツ語から見た日本語について考えながら小説を書き始めると、他国の人から“ぜひうちの大学に来てお話ししてください”と呼ばれて、移動が面倒だと思いつつ仕方なしに出かけていく。
でも行ってみると、本で知るのとはまた別の面白さがあるし、忘れられない体験もする。それで次に呼ばれるとまたのこのこと出かけていき、だんだんと移動し越境する作家になっていったというわけです」
2020年春は長編小説『星に仄めかされて』を上梓した。この作品も第1部にあたる『地球にちりばめられて』も、国、民族、母語、文化、何もかもが違う登場人物たちがあらゆる境界を超え、緩やかに連帯してヨーロッパを旅する物語。彼らの繋がり方は従来の日本人の感覚とは圧倒的に違う。
「私の友達に、母親がハンガリー人で父親がスロベニア人の人がいます。本人はイタリア生まれで、その後イギリスに移住し、小学校からはスイスなので、メインの言語はドイツ語。
英語が堪能で、その後習ったロシア語とフランス語の翻訳者であり、ドイツ語の作家、詩人として知られているけれど、それは母親や父親の言語ではない。ヨーロッパはそういう人がたくさん住んでいる地域です」
属性が幾重にも保証されている日本の社会では同郷や同じ学校の卒業生、同世代、同じ会社というだけで仲間意識が生まれ、拠りどころとなり、アイデンティティ化する。が、ヨーロッパの人々にはそういった感情はないに等しい。
「彼らは、話をして共鳴する部分があったら結びつき、そこから仲間意識や連帯が生まれる。それは例えば、同じ興味を持つ者が集まってプロジェクトを進めるうちに、湧いてくる感情に近い気がします。
今はインターネットのおかげでオンラインで交流できるので、日本でも人見知りで旅が苦手とか、日本の若者にありがちな弱点もクリアできて、思考やセンスで繋がる方法がこれまで以上に広がっていくのかもしれません」