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不安で、不穏な世界観のルーツとは。『ボーはおそれている』監督アリ・アスターとヒグチユウコが語る

人間の不安をあおる天才監督アリ・アスターの最新作『ボーはおそれている』。最高の俳優として映画界から愛されるホアキン・フェニックスを主演に迎え、妄想と現実の狭間で人間が想像し得るすべての恐怖に見舞われる不安症の男が、母の元へと向かう壮大な旅を描く。美しくも不穏でグロテスクな世界観を共有する、『ミッドサマー』の日本版ポスターを手がけたことでも知られる画家・ヒグチユウコさんとアスター監督。2人が語る、不安についての話。

photo: Yu Inohara / text: Tomoko Ogawa

ヒグチユウコ

アリ・アスター監督が日本の工芸品が欲しいとおっしゃっていたので、今回、お土産を探してきたんです。能のお面なのですが。

アリ・アスター

わあ、これはものすごく美しいですね。今回の来日の際に、初めて京都で能の演目を観ることが叶いました。日本語がわからない私でも面白かったですし、抑制の効いた優美さが素晴らしいと思いました。

1時間半にわたる上演だったのですが、途切れることのない歌のように感じられましたし、演者たちのポージングと規律正しさに驚かされました。能面にも魅せられて、記憶するために描き残していたくらい。本物をいただけるなんて、本当に嬉しいです。

能面
日本美術や伝統工芸品に強く関心を向けるアスター監督へのスペシャルギフトとして、ヒグチさんが都内各所を探し回って手に入れたという能面。左から、代表的な面「女面」と、女が鬼に変身した姿の「般若」。

ヒグチ

走り回った甲斐がありました。能の美は、仏教の用語で「幽玄」と表現されますよね。言葉で説明するのは難しいんですけど、幽玄さを醸し出すことを目標に私も絵を描いています。

私は今回、『ボーはおそれている』(以下『ボー』)をスクリーンで5回観たのですが、最後の幕引きのシーンと映画館のホールと一体化したように思えて、仏教的な要素を感じたんですね。子供の頃、お寺に閻魔様から裁きを受ける地獄絵が掛けてあったのですが、その世界観とすごく合致したといいますか。

アスター

地獄絵図、興味深いです。

ヒグチ

ちなみに、日本では、お釈迦様が、地獄に落ちた男が一度だけ蜘蛛(くも)を殺さずに助けたことを思い出して、蜘蛛の糸を垂らして救おうとする、という有名なお話があって。芥川龍之介が書いた『蜘蛛の糸』という小説です。

アスター

そのお話も、すごく面白そうですね。読まなきゃと思いました!

映画監督アリ・アスター
『ミッドサマー』での来日以来、3年ぶりに再会したヒグチユウコさんとのトークが止まらないアリ・アスター監督。能を観た感想を熱く語る一面も。

死ぬまでに何本撮れるか

アスター

今回、過去作『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』と新作『ボー』をモチーフに、新たにヒグチさんが描いてくれたオリジナルイラストを今初めて拝見しているのですが、とっても興奮しています。

母親が雲になって、ボーを見下ろしているイラストなんて最高ですね!ヒグチさんの作品が、私の映画から派生したビジュアルの中で一番好きです。見ていると、自分が誇らしくなってくるので(笑)。

ヒグチ

光栄です。3作品を観ながら、それぞれのフレームとその中に含まれる要素の共通性を考えつつ、モチーフとなるものを選んでいきました。

アスター

それぞれの作品のスピリットを上手に掴(つか)んでくれていますね。ヒグチさんの作品は、これ以上ないほど洗練され、配慮されていて、芸術的で美しい。しかも他人の作品に捧げているだけでなく、ちゃんと自身の作品になっているところが素晴らしいと思います。

ゴシック的な傾向もあるし、大きな目の生き物がぎゅっと集結して、カラフルでかわいくて楽しくて、遊び心に溢れているけれど、常に不吉なものが忍び込んでいる。

ヒグチユウコが描いたアリ・アスターの世界

ヒグチ

監督の作品も、パッと見ホラーだとはわからないですよね。名前をつけ難いジャンルとも言えますし、グロテスクさがあったり、恐ろしかったりする部分を覆い隠している。

『ボー』でも、中盤、彼の未来がわかってしまう、あるシーンが登場しますが、運命が決められていることって、現代人の恐怖だと思っていて。自分も死ぬまでにあと何枚描けるだろう?と漠然といつも考えているのですが、監督はまだ若いけれど、そういう懸念はあるのでしょうか?

アスター

いやいや、全然若くはないですし、不安症でもあるので、明日にでも重い病気になって死んだらどうしようといつも想像しています。今回が最後の作品になるかも……という怯えは常にありますね。

色々とアイデアはあっても、いつ死ぬかはわからないし、その前に自分は何本撮り切れるのだろうか、と考え始めると心が乱されます。

ヒグチ

映画は尽力が必要ですもんね。

アスター

はい。しかもかなりの。一作を仕上げるのに少なくとも2年はかかりますから。これから4本は撮りたいものが頭にあるけれど、どの順番で撮るべきなのか。脚色したい本も2冊はあるんだけど、オリジナルとどちらを先に進めるべきなのか。

脚本家としては書くためにまとまった時間を作らなきゃいけないので、今の自分にその余裕があるのか。不安でいっぱいです。だからこそ、『ボー』を作っていて楽しかったのは、映画でやりたいと考えていたたくさんの小さなアイデアを全部集結させて、一つの大きな作品にできたことですね。

ヒグチ

『ボー』には、さまざまな不安が描かれてますよね。私も不安症で対人恐怖症なので、自分の展覧会のプレビューにも行きたくないくらいなのですが、監督は、映画の公開前に精神的に辛くなるといったことはありますか?

アスター

なくはないですが、幸いなことに、今回、日本が世界の公開の最終地点なんですね。だから、ちょっとポエティックな気持ちになっていて。なぜって、私は日本のアートや映画に大きなインスピレーションや影響を受けてきましたからね。

この『ボー』という作品はかなり変わった、新しく際どいことにも挑戦している実験的な映画なので、アメリカでは観客の意見が二極化したんです。でも、アジア、特に日本のみなさんには楽しんでもらえるんじゃないかと。そういうものも受け入れてくれる心が、日本文化にはあると思っています。

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ヒグチ

噛めば噛むほど、新鮮に面白く観られました。私はホラー映画は大好きなんですが、怖いと感じることがほぼなくて。お化け的なものに対しても、寂しいくらい怖がりではないのですが、監督もそうなんじゃないですか?

アスター

確かに、映画で怖いという感情を抱くことはないですね。先ほどもお話しした通り、生活においては本当にいろんな恐怖がありますし、現実問題、曖昧なままで選択することができなかったりすることも多いんですけれど。

ヒグチ

電車に乗るのも苦手な私からすると、プロモーションで世界を回ってらっしゃるなんて恐怖なのですが。

アスター

不思議なことに、飛行機や運転は怖くないんです。また、日本のみなさんはアーティストに対して深い尊敬の念を持って接してくれますし、温かく歓迎してくださるので、素晴らしい気分で過ごせています。

私の場合、癌になったらどうしよう……と想像して怯えているタイプですが、芸術を作るために、全部の時間を心配していると言えますね。いただいた能面、一生の宝物にします!

ヒグチ

日本の怖い話には、一度鬼の面を被ってしまったら、二度と外れなくなるという言い伝えもあるんですよ。

アスター

それは気をつけないと(笑)。

映画監督アリ・アスターと画家ヒグチユウコ
左:アリ・アスター監督、右:ヒグチユウコ