――『あれからどうした』はどんなプロセスを経て生まれましたか?
佐藤雅彦
われわれ「5月」は、新しい映像手法を開発し、その手法を使って、視聴者に新しい表象、言い換えれば、新しい気持ちを起こさせるいうことをずっと目指してきたんです。だから現代の貧困を描きたいとか、差別や偏見を問題にしたいとか、そういう物語やテーマはもともとありません。
『あれからどうした』の場合も、耳からの情報と目からの情報が大きく食い違っているにもかかわらず、視聴者のなかに新しい像が浮かぶという、そういう新しい映像体験をしてもらいたかったんですね。
ただ、我々もテーマはなくてもいいと思っているわけではないのです。実は新しい手法を追求すると、必ずといっていいくらい次の段階で「テーマ性」が浮上してきます。これを我々は、「手法がテーマを担う」と言ってきました。例えば今回の「あれからどうした」の映像手法は、「人間はなぜか嘘をつく」というテーマが、手法とくっついた形で見えてきました。
――そうして話している嘘のできごと(音声)と、実際に体験したできごと(映像)が同時に提示される、新しいスタイルのドラマができあがったんですね。「5月」のみなさんは、3人で脚本・演出・編集を行っていますが、3人で脚本を書くというのは――。
関友太郎
みんなで同時にPCにアクセスして、そこにそれぞれが書き込んでいくんです。
佐藤
Googleドキュメント上に3つのカーソルが動いていて、自分が書き直したところを、平瀬が勝手に直したりして(笑)。
関
そうやって3人が「これは面白い」と感じたものが残っていくんです。編集のときも同様で、画面をみんなで共有するんですね。実際に手を動かすのは僕なんですけど、「こうしたらいいんじゃない?」「やっぱり違うか」とか言いながら3人で進めています。
佐藤
演出に関しては、初めのころは3人がバラバラに俳優の方を演出していたんですが、それだと混乱を招くだろうということで、映画『宮松と山下』のときから俳優の方と話すのは関、私と平瀬はモニター前にいるという分担になりました。平瀬は現場を見ていて、私は次のシーンを考えていることが多いですね。
関
それでも僕ひとりが演出を考えているわけではなく、モニター前に戻ると3人でいろいろ意見を交わして、それを僕が伝達しにいくという流れです。
――手法のアイデアがまずあって、あとから物語を作るという順序ですよね。物語作りにはどんな難しさがありますか?
平瀬謙太朗
それが、物語をどうしようかという話になると、3人とも黙っちゃうんです。昨晩も企画会議をしていたんですけど、手法の話しか出なくて、物語の話なんか全然出ない。無言のまま30分みたいな(笑)。
――そんななかで今回の物語はどうやって作っていきましたか?
平瀬
今回は全3話の物語をひとつひとつ作る前に、まずこのドラマの主人公となる一団を、どのような職業の人たちにしようかという議論がありました。3人でいろいろな職業のアイデアを出し合い、今回の全3話をどういう組み合わせにしたら面白いか、第1話にはなにが来たらいいかということを決めていきました。
そこからは小さなアイデアの積み重ねです。ある話の主人公たちを例えば「証券会社の法人営業」などと決めたら、その職種ならではの悩みってなんだろうとか、こういう嘘をついたら面白いんじゃないかとか。取材をしたり、部分的には勝手に想像したりしながら、わりとロジカルに物語を組み立てていったと思います。
――食い違う音声と映像が同時に展開されることで、普段は見えていないものがあらわになる感覚がありました。映画『宮松と山下』も、普段は見えていないエキストラの存在があらわになる作品ですよね。
佐藤
『八芳園』という最初の短編映画を撮ったときに、「その他の時間」という言葉を見つけたんです。昔、レコード店に行っていたとき、「ジャズ」とか「クラシック」とかいう分類のあとに「その他」があって、そこばかり見ていたんですけど(笑)、実はわれわれはその他の時間というものも持っているんじゃないか、と。
例えば結婚式のあと、両家の家族が記念写真を撮るときの、新郎新婦が来るまでの時間ってけっこうどうでもいい時間なんですよね。それが「その他の時間」です。引っ越しのとき、トラックより先に引っ越し先のアパートに着いて、ただ待っている時間も「その他の時間」。そういう普段感じていない、見えていないものを映像にしたいという意識はあると思います。
平瀬
打ち合わせでもよく話しますよね。そういう時間やそういうシチュエーション、そういう人たちは世の中のどこに存在しているんだろうって。
――と同時に、これまでの作品を観ると、市井の人たちが共通して描かれていると思いました。
関
今回の映像手法では、どんな舞台でストーリーを作るのがよいかと考えていたとき、証券会社や警察の人たちだけでなく家族でもできるんじゃないかと思いついたら、やたらと嬉しかったんですよね。自分たちが普段生活しているところでドラマを作れるのが嬉しくて。理由はちょっとわからないですけど。
平瀬
なんでですかね?手法から作っているので、そもそも作品として尖っているわけですが、そこにさらに特殊な設定を加えると、バランスがあまりよくないのかなって。特殊なことをやっているからこそ、普通の人たちを描く。それでバランスが取れているのかもしれません。
――しかも最終的には家族の物語になっています。今回の第3話も結局は家族の話に収れんしていって。
佐藤
それは以前、諏訪敦彦監督にも指摘されたことです。おそらく平瀬の言っていることが正しくて、われわれが最初に考えつくのは手法という器。そこには特別なものではなく普通のもの、われわれ市井の人々を入れたほうが手法として生きるし、特別なことをやっているようには見えないのに、実はすごいことが起きているというのがわれわれのやりたいことなんだと思います。それで最終的に家族の話になっているんでしょうね。
――いわゆる作家性とは個人に依拠したものだと捉えられがちですが、5月の場合は?
佐藤
3人が集まると、やはりひとりひとりの個性とはちょっと違うものが出てきますよね。『ピタゴラスイッチ』を作った慶應義塾大学の佐藤雅彦研究室は、実は佐藤雅彦が中心にはいないんですが、「5月」も同じです。自分より1歩半くらいずれたところに「5月」の中心がある。
平瀬
自分が好きなものはこれ、しかし「5月」として正しいのはこれ、というふうに考えるときは多々あります。でも優先するのはつねに「5月」としてなにを生み出すかなので、喧嘩にならないしぶつからない。映画監督的なエゴでなにかを作ろうという意識はゼロですね。
関
3人で作るのは、基本的にいいことしかない気がするんですよ。ひとりだったら、中途半端な状態で面白いと思い込んで進めてしまうようなことも、他の厳しい目が入ることで一歩二歩進んだ議論ができる。3人で進めることにより自信が深まるっていうんですかね。確実な判断ができるのは頼もしいし、本当に助かります。
佐藤
「5月」でなければ、僕は監督をやろうとは思いません。「5月」では自分を監督として位置づけられますが、「5月」をとび出たら自分は監督ではない。変な話なんですけど。自分でもなんでこんなに映像作品を作りたいのかわかりません(笑)。
――監督として世界的にも特殊な存在ですよね、「5月」は。今後、メンバーを増員する可能性は?
佐藤
3人でせいいっぱいです(笑)。