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青山と鎌倉、2つの拠点。いまだ気配が残る安西水丸のアトリエへ

青山と鎌倉。イラストレーターの安西水丸が仕事場とした2つのアトリエにお邪魔した。10年の歳月が流れたものの、好きなものだけに囲まれたその仕事場は、まるで彼が帰ってくるかのように、いまも当時のままだ。

photo: Keisuke Fukamizu / text: Akihiro Furuya

「いまだに、いなくなった気がしません。亡くなったとか、あまりそういう考えがないんです。ふと仕事場を見ると、安西がいつものように仕事をしているみたいで」

安西水丸の青山のアトリエを訪ねると、事務所スタッフの方が案内しながらこう呟いた。まるで、さっきまで作業をしていて、近所に散歩に出かけたかのようだ。安西は青山と鎌倉にふたつのアトリエを持つ。青山のアトリエは主にイラストレーションの仕事用、そして鎌倉のアトリエは執筆用として、使い分けていたらしい。

安西水丸事務所
青山のアトリエ。机周りは生前のまま。ただ席を外しているだけで、本人が帰ってきそうな佇まいだ。

亡くなって、今年で10年の月日が流れたが、どちらのアトリエも当時のままだ。あふれんばかりのモノに囲まれた机にはまっさらな紙がセットされ、新しい作業がいつ始まってもおかしくない気配がある。スノードーム、〈ブルーウィロー〉のテーブルウェア、民藝やキャラクターの人形など、安西水丸作品のモチーフとしておなじみのコレクションも当時のままだ。

「そのままにしていたかったというわけではなくて、どうしたものかと思っているうちに、時間だけが経ってしまったんです」

青山のアトリエには原画や雑誌の切り抜きが大切に保管されており、その作品数は膨大だ。村上春樹関連のものは早稲田大学の国際文学館にある村上春樹ライブラリーに、それ以外は武蔵野美術大学に寄贈することとなった。

「安西は作品には愛着があったんでしょうね、入稿原稿の返却など、原画の行方をとても気にしていました。また、イラストは印刷物として発表されて、完成品だと考えていたので、掲載誌の切り抜きをスクラップして、とても大事にしていました」スタッフの方は振り返る。

1990年に発表した自伝的小説『手のひらのトークン』の続編ともいえる作品で未完の小説、『1フランの月』が先ごろ上梓された。これらの執筆作業はほぼ鎌倉のアトリエで行われたという。

安西水丸鎌倉のアトリエ
鎌倉のアトリエ。やさしい光の包まれて、ディレクターチェアに座った安西水丸はなにを考え、なにを思っていたのだろうか。

海を見渡す高台にある鎌倉山のアトリエは、安西水丸の暮らしぶりをより反映している。海を望む南側は、あえて高い位置に窓が切ってあり、椅子に座れば視界には空の高いところまで目に入る。木々のざわめきで風を感じながら執筆したであろう机の上には、愛用の〈ペリカン〉の万年筆で綴られた、書きかけの原稿用紙と地図などの資料。青山のアトリエ同様に〈ブルーウィロー〉やスリップウェア、旅先で手に入れた灯台やフォークアートなどが雑多に置かれているかと思えば、絶妙な配置でディスプレイされている。クローゼットにはトレードマークともいえる〈Lee〉のGジャンやアメ横で買っていた軍もののチノがたっぷりと。

「ここには、文章を書くときに3~4日くらいいましたかね。好きなモノしか置かないし、選ぶものは愛着のあるものばかり。いなくなっても片付けるのが大変だし、片付けようもなくてこうなっちゃいました(笑)。家の設計についてはほとんど建築家にお任せでしたね。変に洒落た建材を使うのではなく、合板みたいにチープで素朴が好きで、うまく使えるようお願いしていました」

安西水丸の鎌倉アトリエの机
机の上には地図や辞書、資料を広げたまま。旅日記であろうか、まさに執筆途中の状態を保っていた。

今年、3月19日に没後10年をむかえる。それをきっかけに未完の小説のリリースや関連本の出版、そして8月には福井市美術館にて「イラストレーター安西水丸」の全国巡回展が予定されている。安西水丸まわりはまた賑やかだ。

「安西も忘れられちゃうのは寂しいので、こうして、いろいろと取り上げてもらえて喜んでいると思います。いままで通り、自然なかたちで、安西のことを忘れないでいただければ、とてもうれしいです」

安西水丸事務所の玄関にかけられたジャケット
青山のアトリエ玄関には、安西が愛用していたスタジャンが今もかけられている。