そのとき彼女の姿は——
映画作りを経て、私たちが彼女について発見したこと
入江悠
『あんのこと』は実際に起きた出来事に基づいて映画を作る、初めての作品でした。振り返ってみると、これまでで最も困難な作品だったかもしれません。
初めはモデルとなる女性のリサーチから始めましたが、実在の人物への責任感や、それを俳優に演じてもらう罪深さのようなものを途中から感じて、大変な題材に着手してしまったなと。ずっと緊張感がありました。
河合優実
私も、モデルとなる女性を取材した記者の方にお会いして、質問攻めにするところから準備を始めました。まずは実在の女性にどれだけ近づけるか、その人の人生をどれだけ背負えるか、そこに大きな比重を置いていたんです。
でもある段階からは想像するしかなくて、すると、香川杏という役柄の人生もどんどん膨らんでいったんですね。途中で入江監督が「どこかで切り離さなきゃいけないと思う」と言ってくださったこともあって、そこからは実在の方と役を切り離す方向にシフトしていきました。
入江
おそらく途中から、主人公の杏は河合さんそのものになっていったと思うんです。だからこう動いてほしいとか、こういう表情をしてほしいとか、演出的なことはほぼしていません。
僕はその瞬間に河合さんが何を感じているかを、ただ見つめようと思っていました
河合
私は撮影の前に、このキャラクターはどういう人物かと言葉で捉えることはあまりしないんです。
今回は特に、決められないし、決めてかかったらいけないと思っていたので、撮影する過程で杏の人物像が浮かび上がってくるような感覚でしたけど……頑張る力や前へ進もうとする力がすごく強い人だなと思っていました。だから撮影はいつも必死でしたし、今まででいちばんエネルギーを使ったかもしれません。
入江
杏という女性がコロナ禍の閉塞感をどう生きたのか、それを想像していく過程が今回の作品作りだったとすれば、河合さんがそれを僕らに教えてくれる触媒みたいな存在だったんです。
杏の人物像についても、河合さんの感覚の方が彼女に近いはずだから、僕が言葉にして、その考えを邪魔してしまわないように気をつけた。僕が何かを言った途端に、可能性を狭めてしまうような気がしたんですね。河合さんを通じて、杏はこういう子だったんだなと発見させてもらったと思います。
それは僕だけでなく、現場のみんなが感じていたことかもしれません。映画を作りながら、みんなで何かを発見していくという、今までにない充実感がありました。
河合
その点では私も同じです。作品が完成したあと、試写を観たマネージャーさんから「印象に残ったのは杏の頑張っている姿や笑っている姿でした」と言われて、すごく嬉しかったんですね。
そういう姿を見せたいと思って演技していたわけではないけど、撮影をする中で私たちが見つけたのはそういうことだったんだなって。
入江
僕としては、コロナ禍の2020年に親しい友人たちを亡くして、あのとき彼ら彼女らが何を考えていたか、映画を作りながら考えたかったんです。究極的には自分のために作っていたところがあって、友人たちと似たような状況に陥る杏の考えが、少しでもつかめればよかった。
でもそこで見えてきたのは、彼女が苦しい時期にも、充実した時間を過ごしていたということでした。それは大きな発見でしたね。
河合
撮影からだいぶ時間が経った今は、杏という人物に近寄ることで、彼女が生きたコロナ禍の世界も見えてきた気がします。全世界が辛い経験をした記憶を、こうして忘れないように記録しておくことは、やはり価値あることだと思います。