アン・ソンジェが挑戦する韓国の食の最先端
韓国人として史上最年少でミシュラン3ツ星に輝いた、ファインダイニング〈MOSU〉オーナーシェフのアン・ソンジェ。活躍はレストラン業のみならず、2024年配信のNetflixのドキュメンタリー番組『白と黒のスプーン 〜料理階級戦争〜』にも出演、韓国の食文化のキーパーソンとして世界に印象を強く残した。
今や時の人と言えるアンシェフは韓国に生まれ、少年時代に家族とアメリカへ渡る。料理学校を卒業して3ツ星のフランス料理店など各店で経験を積み、15年にサンフランシスコで開業したのが〈MOSU〉。その年にミシュラン1ツ星を獲得するが、アンシェフは2年後に家族と共に韓国へ。世界の食の関係者は驚きをもって、この決断を受け入れる。
17年に母国ソウルで新たな〈MOSU〉を開業。その後に3ツ星を得たアンシェフが再び世界を驚かせたのが、その〈MOSU〉の一時閉店だ。「22年10月に3ツ星を獲得し、1年とちょっと後の24年2月にクローズしました。24年版のミシュランでも3ツ星の評価をいただいていたので、来店を希望されるお客様には申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが……。未来の〈MOSU〉のあるべき姿を思い描いての決断でした」

店の場所も南山の麓、〈グランドハイアットソウル〉近くに移転した。「クラシックな韓国の西洋式家屋の風合いを生かして、リノベーションしました。設計担当は韓国を代表する建築家であるチョ・ミンソクさんです。
また新生〈MOSU〉では空間に加えて、テーブルウェアにもこだわります。僕のコースを組み立てる料理一つ一つに合う器を韓国のアーティストの方々に依頼しました。調理のアプローチは、今までと大きく変わりません。僕が実際に出会った、顔の見える韓国の生産者さんから届く旬の食材。それに僕の感性と技術で手を加えて、皿に盛り付ける。〈MOSU〉がリニューアル開業したことで、さらに明確に僕の料理の世界を楽しんでいただけるはずです」
空間、テーブルウェア、食材。店を彩るあらゆる要素からにじみ出る、母国への愛。〈MOSU〉はファインダイニングでありながら、韓国の粋を集めたショールームでもあるのだ。
ソウルで美味にありつく、そのための心得とは?
そんな韓国を代表する料理人が、今でも忘れられない家庭の味として挙げるのが、「감자떡(ガムジャトック)」、ジャガイモ餅の舌の記憶だ。「北朝鮮の咸興(ハムフン)市から韓国に移住した僕の祖母が、故郷の味だと言いながら、よく作ってくれました。ジャガイモのデンプンと潰したジャガイモを混ぜて、こねて皮を作ってから、豆や餡を包んで形にして蒸します。
出来たてのジャガイモ餅に、ゴマ油を塗って食べるんです。今もソウルの北朝鮮料理店に行けば置いてありますが、祖母の作ったものと全く違う。あのガムジャトックの味わいを思い出すたびに、祖母と共に過ごした幸せな記憶が蘇ってきます」
現在もアンシェフの脳裏に残る、幼少期の舌の記憶。ゆえに私たち日本人がソウルで幸福な食体験をするためにも、初めの一歩が大事だとか。「最初は백반집(ペッパンジブ:定食屋)へ。肉の炒め物や焼き魚といった主菜に、ご飯と汁物、パンチャン(おかず)が数種付いてきます。ソウルに何回も来ている人も、足を運べばきっと、初めて訪れた時の感動が蘇るはず。ぺッパンジブで味わう家庭料理こそ、韓食の基本です」

旅人が避けがちな、同じ料理の店を数軒回るのもいいと、アンシェフ。「ソルロンタンだけ、サムギョプサルだけなど、ジャンルを決めて巡れば詳しくなれます。ソウルに来るたびにテーマを替えて店を回れば、舌から得た情報、経験の積み重ねが、いつか韓国料理全体の理解につながるでしょう。あとぜひ、僕の祖父母の故郷・咸興市の冷麺を食べてほしい。
日本人には蕎麦粉を使った平壌(ピョンヤン)冷麺がお馴染みですが、咸興冷麺はデンプンで作る麺を使ったビビン冷麺なんです。ジャージャー麺も韓国と中国では外見も味も大きく異なりますし、麺一つとっても、韓国ではさまざまな食体験ができます」
最後に旅人がおいしい店にありつくために、「タクシー運転手さんの力を借りよう」と話す、アンシェフ。「タクシー運転手が休憩時間によく食事に訪れる店の看板には、”기사식당(キサシッタン:タクシー運転手が集う店)”と書いてあります。そして韓国人の共通の認識として”キサシッタンはおいしい店が多い”というのがあるんです。タクシーに乗ったら、ぜひ運転手さんにお気に入りを聞いてみて。そこには旅の思い出に残る美味なる食体験が待ち受けているかもしれません」
アン・ソンジェ流韓国の店選び3ヵ条
1.まず백반집(定食屋)で定番の韓食に親しむ。
2.同じジャンルの店を回って、食の経験を積む。
3.기사식당(タクシー運転手が集う店)に行く。