建築を観に行こう。談・安藤忠雄

今、僕らが暮らしている町に、都市に、そして日本には、名作建築がたくさんあります。それを観に行って、触って、使ってみませんか。

Photo: Shigeo Ogawa / Text: Kosuke Ide

最初に建築に興味を持ったのは、大阪の下町で暮らした少年の頃です。近所で大工さんが家を建てていると、当時は仮囲いもありませんから、建ち上がっていくプロセスがすべて見えるんです。基礎を打って、柱を建てて、屋根を架けて……だんだんと出来上がる家を見て、すごく面白いなあと思った。それに、職人さんたちが夕飯の時間も忘れるくらい懸命に働いている姿にも感動しました。

後に建築を志すようになった頃には、奈良や京都まで古い建築を見に行くようになりました。東大寺、法隆寺、唐招提寺……そういうものを見ると、色々と想像がふくらんできます。この伽藍をどうやって建てたのか、何人で組み上げたのか。この石は、この木はどこから持ってきたのか。

東大寺の大きな柱は、現在の山口県のあたりの木が使われていて、それが瀬戸内海を渡り、大和川を通って運ばれる間に樹液がなくなり、乾いた良い材になるそうです。当時の人の技術はすごいなと驚きました。

アルバイトをし、必死でお金を貯めて、1965年に一般の海外渡航が自由化されるとすぐに、建築を見るためにヨーロッパ旅行に出かけました。24歳の時です。

パリではエッフェル塔を、バルセロナではサグラダ・ファミリアを見ました。1880年代に建てられたエッフェル塔は「鉄の時代」にふさわしい鉄骨造ですが、しかし同時期に着工したサグラダ・ファミリアはカタルーニャ地方の伝統的なレンガ工法による組積造。同じ時代でも、まったく違う方法で造られているんです。

またル・コルビュジエのロンシャンの礼拝堂を見た時には、あちこちから差し込む光の下に人々が喜びに溢れて集まってくる様子を見て、こういう場所こそが建築なんだと感じました。

建築にはそれが造られた時代の薫りが歴史として詰まっているわけですから、建築を見て回るというのは、本を読んでいるみたいなものです。何を見ても、あれも楽しい、これも楽しい。今思い出しても、感動の記憶が蘇ってきます。

北海道札幌市 安藤忠雄設計 .頭大仏jpg
この敷地には、無垢の石でできた大仏がもともとあった。クライアントからの、大仏を「ありがたい感じにしてほしい」との依頼に対して、安藤さんは大胆にも「思い切って全部埋めてしまってはどうか」と提案。勇敢なるクライアントはそれを快諾。夏は一面のラベンダーに、冬は降り積もる雪に埋もれる大仏が生まれた。

現代の日本の社会では、建築はすべて経済的に合理的で機能的であるべきと考えられています。利益を再優先に考え、一つも失敗しないように造るのであれば、誰が設計しても同じような答えになるのは当然です。しかし、そこに感動はないでしょう。私は、建築というのは非合理的なものだと思っています。

今の日本には夢がないんじゃないですか。しかし、目標と意志があれば、必ず面白いものができます。そういう建築を自分の目で見て、体験することは、何よりも楽しいものだと私は確信しています。