近年、クラシックの世界でじわじわと人気を高めているのが、「古楽」である。
そもそもクラシック自体が昔の古典を演奏するジャンルなのに、その中でもさらに古いってどういうこと?もしかしてかなりお堅い?
いや、むしろその逆で、一番自由なジャンルかもしれない。既成のクラシックの権威に対する問い直し、時には反逆的な立場の表明として、20世紀半ばに始まったのだから。
わかりやすい例を挙げよう。かつてクラシック界の帝王といえばカラヤンであった。ベルリン・フィルを率いて、厚みのあるゴージャスでリッチな演奏のスタイルを作り上げた大指揮者。それは一つの理想だった。
それに対して、古楽系といわれるニコラウス・アーノンクールやフランス・ブリュッヘンらの音楽家たちが問い直したのは、響きそのもののあり方だった。
例えば、作曲家が生きていた時代の楽器(古楽器、ピリオド楽器と呼ばれる)を使う。弦楽器の場合、現代のスチール弦ではなく昔のガット弦(羊の腸でできた弦)を用いて、より温もりのある音色を求める。
音を震わせるようなビブラートや装飾音、あるいは様々な演奏法を、現代の慣習ではなく、作曲家の時代に立ち帰って研究をする。当時と同じような少人数で演奏する。するとそこには驚くほどみずみずしい音楽が立ち現れた。
それは、復元されたミケランジェロの壁画が思いのほか鮮やかで明るい色だったのとよく似ている。
古楽には大きく2つの方向性がある。バロックを軸にしつつ、19世紀まで時代を下る派と、より過去を探求してルネサンスや中世へと遡る派。
そして、日本にも古楽を演奏する人たちがいる。その代表格は、前者が古楽オーケストラと合唱団のバッハ・コレギウム・ジャパンを主宰する鈴木雅明さん、後者が古楽アンサンブルのアントネッロの濱田芳通さんだ。なぜ古楽器なのか2人に聞いた。
「古楽器は音量が小さく、音域も狭い。現代のコンサート会場では制約がある楽器です。でもメリットがある。楽器は、その性能の限界まで使った時に、一番いい音がするんです。
例えばオルガンやチェンバロでは、どの作曲家も当時の狭い音域の鍵盤の両端の、最高音と最低音を必ず使っていた。その楽器の能力をめいっぱい使い切ってなお美しい音楽を作ろうとするせめぎ合いがあった。
だからこそ、制約のある古楽器を使った方が、より緊張感のある情熱的な演奏になるんです」(鈴木さん)
「古楽器は自分の頭の中のイメージを、より繊細に、よりダイレクトに反映してくれるような気がします。構造が原始的なためか、野性味を感じさせる音作りもしやすいです」(濱田さん)
作曲家たちが生きた時代を感じさせる
ピリオド楽器
即興的で自由で
民族音楽にも通じる世界
従来のクラシック音楽は、「楽譜通りに」と教えられるもの。ところが古楽の場合、楽譜に指示が細かくあるわけではない。余白にどんな装飾を入れるか、どんな速さで、どうイメージを膨らませて演奏するか、演奏者に任される部分が大きい。
とはいえ、ある規範に従わなければいけないのでは?
「古楽は即興の自由が当然の世界です。バッハなんて僕はクラシック音楽の中に入れてほしくないくらいに思っています」(鈴木さん)
「当時の音楽シーンは即興演奏がかなりの部分を占めていたことでしょう。楽譜に残された曲でさえも極めて即興的に作曲されているので、演奏法も従来のクラシックとは違う、より即興的なスタイルの方がマッチするのです」(濱田さん)
例えば鈴木さん主宰のバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏に、杓子定規さは全くない。彼らの手にかかると、バッハは今生まれたばかりのように沸き立ってフレッシュだ。
濱田さんのアントネッロが16世紀に渡来した南蛮音楽を演奏する時、まるでラテンミュージックのように踊りだしたくなるような熱さがある。日本人の音楽のルーツについて考え直したくなる驚きがある。
少しでも聴けば、こんなにも自由で楽しかったのか、と誰しもが思うのが古楽である。
こうした古楽演奏家たちは、ヨーロッパのみならず、アジア、中近東、南米、ロシアなど、国境を越え、歴史にヒントを得ながら、カラフルな音楽を繰り広げている。それは既成のクラシックの枠を超えた音楽的ムーブメントである。