話を聞いた人:黄永昌(映画音響)
映画『ペナルティループ』や『女囚霊』など、数々の作品で録音と音響を担当してきた黄永昌さん。映画撮影における音の演出について、まずは自身の録音方法について。さらに、技術の進歩による、新しい音の演出方法について聞いた。
「個人的に撮影時の収録は、役者さんのセリフを中心にして、シーンが豊かになるよう心がけて収音していきます。それに合わせ、場面に適した環境音を録音する。編集作業になったら、監督と相談しながら音を調節して。セリフのほか、環境音にリバーブ(残響)を加えたり、音量を増減させながら仕上げていく。
昔はテープで録音・編集していたものが、90年代後半からデジタルで録音、編集も後に業界基準になる『Pro Tools』へ移行し、便利になりましたね。近年は新世代を中心に、音響を効果的に使った、野心的な映画が増えたと思います」
2024年3月、第96回アカデミー賞で音響賞などを受賞した『関心領域』。録音を担当したターン・ウィラーズとジョニー・バーンが、戦時下のアウシュヴィッツ強制収容所の関係者らを徹底的に取材し、地図や出来事の日時などを入念に調査。それを基に1年間をかけて、製造機器や火葬場の音、銃声など、音響ライブラリーを作り上げたという。
「マンパワーで歴史的な検証を重ねながらも、新しいテクノロジーも導入し、忠実に音響を作ったことは、本当にすごいと思います。収容所の隣に住むルドルフ・ヘス所長邸のシーンでは、ずっとボイラーのような低音が鳴っていて。平凡な家族生活の描写にもかかわらず、すごく違和感がある。その反対に、屋敷から離れた河原のシーンでは、水のせせらぎが聞こえる。観客はいきなり気が抜ける。環境音で、見事にストーリーの緩急をつけたと感じました」
戦時下ながら、裕福な生活を送る一家。そんな暮らしぶりの中で、各登場人物の卑しさや愚かさが挿入され、人間の本質を描いている。
『関心領域』監督:ジョナサン・グレイザー/2024年公開/1945年の第二次世界大戦中、アウシュヴィッツ捕虜収容所と壁を一枚隔てた屋敷で暮らす、ルドルフ・ヘスと一家。徹底的な調査を基に、一家の淡々とした生活の描写と音響のコントラストで、見事に恐怖を演出している。
人の聴覚を引きつける『関心領域』の魅力とは
平凡な暮らしと、戦時下の極限状態が、隣り合わせの特殊な環境。人間の精神状態にも影響を与えるだろうと察しがつく。
「個人的に一番気になったのは、妻のヘートヴィヒ・ヘスの行動と音でした。例えば、突然実母が屋敷を出ていった後、召使いに朝食を片づけさせるシーン。(不機嫌を察して)震える手で、“カタカタ”とカップを揺らしながら片づけます。さらに、食事を始めたヘートヴィヒは、ナイフで皿に“キーッ”と音を立てる。ヒステリックで、傲慢という、彼女のキャラクターを表現していました。
また、終盤に印象的だったのが、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の職員が掃除機をかけるシーン。“ゴーッ”という音、そしてコード式の機体を引っ張る“キー”という音に違和感があります。ここには製作者のメッセージが込められているんじゃないかと。環境音と細かい生活音のバランスが作品全体の怖さ、不気味さを引き立てているんだと思います。個人的には結局、人が立てる音が一番怖いと、改めて感じました」
人が立てるなにげない音と生活の環境音のギャップ
こうした「怖い音響の映画」で、黄さんが最初に思いついた作品は、黒沢清監督作『CURE』だという。
「間宮が白里海岸をさまよう前半のシーンで、波風に混ざって不自然な“ボーッ”という低音が聞こえる。そのほかに劇中で、ずっとボイラーのような低音が鳴っていて。公開以来、久しぶりに観直しましたが、とにかく環境音が不自然に大きく、不安な気持ちになりました。反対に、鉄パイプで女性を殴打する音は“ポコン”という音。
そして、警官が同僚を射殺するシーンでは乾いた“パン”という音で。暴力描写の効果音は、リアルという声もありますが、それよりもチープで、おもちゃの音のように聞こえる。黒沢監督と、音響効果を担当した丹雄二さんが意図してつけたものだと思いますが、環境音の不気味さとのギャップがあって、より怖さが引き立てられている。こうした演出は『蛇の道』(1998年公開)でも導入されています」
自宅療養中である高部の妻は、常に空の洗濯機を回す。そのスイッチを切る高部。このやりとりから一家の状況が窺える。
『CURE』監督:黒沢清/1997年公開/首から胸にかけて、X文字形に切り裂かれる猟奇殺人が頻発。事件を追う刑事・高部は、元医学生の間宮の存在に辿り着くが。アリ・アスター監督ら、海外でもファンの多いサイコスリラー。U-NEXTで配信中。
不自然な音ほど、衝撃が強く、怖い記憶として残るかもしれない。
「例えば『シャイニング』のジャック・トランスは、冬季に山奥のホテルの管理を任されるのですが、到着早々から壁当ての一人キャッチボールを始めます。“ポーン”という音がとにかく大きく、最初は打楽器で制作した劇伴かと思ったくらい。立派な装飾のある部屋にもかかわらず、全力投球しているところに、彼の精神状態が出ている。
まず、閉鎖された空間が恐ろしい。さらに、タイプライターの文面など、ジャックが何度も繰り返す、奇怪な行動と音が怖い。
『シャイニング』監督:スタンリー・キューブリック/1980年公開/小説家志望のジャック・トランスと妻子が、冬季に閉鎖されたホテルの管理人として出向く。主演のジャック・ニコルソンの圧倒的な表情、次々と起こる怪異。ヒトコワと霊現象の間を行き来するホラー映画の傑作。
また『エクソシスト』の冒頭で、リーガンがレントゲンを撮影するシーン。半世紀も前の物語ですから、今と医療機器の規格は違うと思いますが、いくらなんでも音が大きすぎる。恐らく(ウィリアム・フリードキン)監督の悪意ある演出だと思っていますが。2作品とも、後半に向かってどんどん恐怖が増していきます。個人的な感想ですが、冒頭に変な音が鳴っている映画ほど、怖い記憶として残っている気がします」

エフェクトで加工して作られた悪魔の声をはじめ、音による恐怖演出も満点。第46回アカデミー賞音響賞、脚色賞を受賞している。©Everett Collection/Aflo
『エクソシスト』監督:ウィリアム・フリードキン/1973年公開/イラクで遺跡の発掘作業中、メリン神父が悪霊・パズズの像を発見する。時同じくして、ワシントンにあるマクニール家の長女・リーガンを怪異が襲う。日本公開から50年経った今でも語り継がれる悪魔憑き映画の金字塔。