しまおまほ(エッセイスト)
父方の祖父母と叔母が暮らしていた鹿児島・宇宿町(うすきちょう)にあった小学校の標語です。1986年、8歳の頃に目にして、本当に感動して。「褒めて育てる」という発想が珍しかった時代の中で子供時代を過ごしていたので。それ以来、親に対して「私を褒めて育てろよ!」という気持ちになりました。今でも小言を言われると、そう思います。
タナカカツキ(マンガ家)
長嶋監督はいくつもの名言(迷言?)を残しています。「昨夜は遅かった。ホテル帰って、シャワー食べて、ウドン浴びたら、もう12時でしたから」なども最高です。監督の言葉は日常の中でしばしば思い出され、そのたびに私の心を軽くします。「夢のドリーム」も目の前がパァーと明るくなる、力のある一行だと思います。
牟田都子(校正者)
西島九州男は岩波書店の初代校正課長で『広辞苑』など数々の書籍に携わり、「校正の神様」と呼ばれた人。校正者でさえ「絶対」にミスをしないということはない。誰もが必ずミスをするという前提ですべてを(自分自身をも)疑うことでしかミスは防げないのだ、と。仕事においても日々の生活においても、心に留めています。
堀道広(うるし漫画家)
漆芸の第一人者で「漆聖」とも呼ばれる松田権六先生の言葉。まごうことなき名言だが、自分は絶対に支流側にあるという目でも見ていて、「支流は支流として、消えてなくならないようにするにはどうしたらよいか?」という抜け道を考えていた(そしてなぜか漫画家になった)。「消えてなくなる」という言葉もクールで怖い。
野川かさね(写真家)
山の写真を撮り始めてしばらくした頃、図書館で開いた写真集に添えられた随筆の中の言葉。山に向かい合う視線や、作品作りにおいて自分自身が大切にしていることがまさに言語化されていて驚きました。壮大な風景の作品も多い田淵さんの根底にこのような視線があるのだと知り、作品作りの励みになったことを覚えています。
川瀬慈(映像人類学者)
民謡の調査で何度か訪れた伊江島。反戦平和資料館〈ヌチドゥタカラの家〉には、非暴力による基地返還を訴えた「沖縄のガンジー」こと阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんにより収集された米軍の武器など、戦争の悲惨さと同時に平和を求める人々の力強さを伝える豊富な資料が展示されています。今日、この言葉の重みがさらに増しています。