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アレキサンダー・ジラードの収集の才能。ものたちへの愛に満ちた収集、整理、展示

オフィスや店舗の設計から、家具やテキスタイル、グラフィックとトータルなデザインに携わってきたアレキサンダー・ジラード。彼の思想の根本にあるのは「収集」である。世界各国のモノから生み出されるデザインとは。

text: Keiko Kamijo

ものたちへの愛に満ちた収集、整理、展示。

アレキサンダー・ジラードの収集の才能は、既にDNAに刻まれていたのかもしれない。ジラードの父マッテオと母方の祖父マーシャル・カトラーは、共に古物商を営んでいたからだ。ニューヨークで生まれたが、まもなくフィレンツェへと移り、アンティーク家具とともにエキゾティックな色彩のタペストリーが飾られているような家で育った。

祖父からもらった、古いクリスマス用キリスト降誕の情景を再現した人形(クリブ)や、世界各国のテキスタイルの切れ端を綴じた見本帖はジラードのその後のクリエイティブに深く影響を与えている。

英国で建築とインテリアを学んだジラードは、1932年にニューヨークに事務所を開き、キャリアをスタート。初期のインテリアの仕事からも、既にフォークアートの影響が見てとれる。ミシガン州のグロスポイントへと事務所を移転した1940年代は、インテリアやオフィスの仕事に加えギャラリー兼ショップをオープンし、毎月企画展を行った。

ジラードが妻スーザンとの新婚旅行で行ったメキシコで大量に購入したフォークアートの展示に加え、イームズの家具やスタインバーグのドローイング、ジュエリー等。企画の基準は、彼の眼でありジャンルに境界はなかった。ショップでは、フォークアートから着想を得て自身が作成したオリジナルオブジェの販売も行っていた。

後の、〈ラ・フォンダ・デル・ソル〉やテキスタイルデザインの仕事に見られるカラフルな色彩と少し武骨だが愛らしくユーモア溢れる造形は、世界中のフォークアートが着想のもとになっている。

美しく整理・展示することで、収集物に光が当てられる。

ジラードは、類い稀なる収集癖と鋭い選択眼を持っていたとともに、整理の達人でもあった。彼のオフィスは膨大な、一見ガラクタともいえるようなものたちで溢れていたが、隅々まで整理されていた。オリジナルの棚や専用の箱を作り、段ボールには中身のサンプルを貼り、手描きのラベルを付けて、何がどこにあるのか一目で判別できるように視覚化した。

ジラードスタジオのスタッフいわく、「ジラード氏の机の上にはいつでも一つしかものが置いてなかった。そして、作業を終えるとすぐにラベルの付いた引き出しに入れていた」という。事務所のスタッフはデザインをするのと同じくらいものの整理に時間を費やした。

「オブジェクトを彼らの世界に置いてあげるとすべてが呼吸し始めると信じている。展示物は生き生きとし、そこは劇場になる」。ジラードが1968年の世界博覧会『Hemis Fair'68』の展示を手がけた際に語った言葉だ。彼は収集したものを、そのものにふさわしいシーンで展示することを常に考えていた。

フォークアートの展示に対する考え方は、ジラードが自宅でディスプレイした際も、フォーク・アート・ミュージアムに10万点もの収集物を寄贈し、新たに建てられた「ジラード・ウィング」の展示を手がけた際も変わらない。

収集、整理、展示。ジラードの中で一環するのはすべての“もの”への愛情だ。市場価値は問題ではない。手に入れたものはすべて等しく愛おしい。ジラードは収集についてこう言う。「最初に来るのはオブジェクトへの愛、収集するためのほかの基準は全くありません」

ああネイティブアメリカンのカチーナ人形や日本の凧や羽子板、中国のお面などと一緒に写るジラード一家。ジラードのチャーミングな一面が垣間見られる。左から息子のマーシャル、妻のスーザン、ジラード本人、娘のサンシ。©Girard Studio, LLC 2018

ああ、行ってみたかった!
ジラード肝いりの展覧会。

1968年に開催された国際博覧会『Hemis Fair』でジラードは「El Encanto de un Pueblo(The magic of a people)」の建物およびグラフィック、展示構成を担当し、5,000体以上の人形を用いて50個のジオラマを展示した。