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阿久悠の遊び心が日本を変えた?歌謡界の怪人が生んだスターとヒット曲

どれだけの歌を作っても、時代が求めるヒット曲をまた生み出した歌謡界の怪人・阿久悠。70年代に阿久悠とピンク・レディーというモンスターを共に作り上げた飯田久彦氏に聞いた。
初出:BRUTUS No.887『平凡ブルータス/Hey! Say! JUMP』(2019年2月15日号)

text: Chappy Kato

話を聞いた人:飯田久彦(歌手・音楽プロデューサー)

ピンク・レディーが「♪セクシー」とミニスカをめくり上げ、ジュリーが天に向かってブシューッと酒しぶきを上げる。1970年代の歌謡曲は、なぜこんなにも猥雑で面白いのか?

それは、世の中当たり前じゃツマらない。歌でちょいと世間を騒がせてやろう、という「ワルい大人たち」が歌謡界のそこかしこに存在したからだ。

その筆頭が、作詞家・阿久悠である。「悪友」とも読めるこのペンネームからして、「何か悪さをしてやろう」というムードがプンプン漂っている。

全盛期のピンク・レディーとジュリーを同時に手がけていた歌謡界の怪人。圧巻なのは、70年代に4度もレコード大賞を受賞しているのだ。しかも……76年・都はるみ「北の宿から」→77年・沢田研二「勝手にしやがれ」→78年・ピンク・レディー「UFO」と3連覇を達成。

演歌・ポップス・アイドルと異なるジャンルを股にかけての偉業である。これって、独禁法違反ではないか?

まずタイトルありき。常に世間の逆を行け

言い換えると、70年代は「阿久悠が好き放題やらかした時代」でもある。阿久はなぜ貪欲に、歌謡曲のあらゆるジャンルにコミットし、世間にインパクトを与え続けたのか?阿久亡き今、ここは「共犯者」に事情聴取するしかない。

『スター誕生!』でピンク・レディーに札を挙げ、阿久に作詞を依頼。社会現象を巻き起こした元ビクターのディレクター・飯田久彦氏を直撃した。

『スター誕生!』は、71年10月、「TV時代のスターを作ろう」と、阿久が企画を立ち上げ、自ら出演して審査員も務めた、日テレのオーディション番組である。

阿久は決戦大会で、プロダクションとレコード会社が直接札を挙げるというシビアな「入札制度」を導入。「人身売買じゃないか!」と批判する声もあったが、「無難なものより、刺激的なものを」という阿久のポリシーは、この番組でも一貫していた。

76年2月の決戦大会。ビクター代表で参加した飯田は、10社以上が指名した清水由貴子には目もくれず、フォーク調の曲を歌った静岡県出身の女性デュオに独断で札を挙げた。

「前年に引退したザ・ピーナッツのような、歌って踊れるデュオを育てたい。そんな思いで……つい(笑)」

会社に大目玉を食らった飯田が何とか売り出そうと頼ったのは阿久だった。
「この子たちで、今のチャートにないヒット曲を創りたいんです!」

決戦大会では、さほど2人に興味を示さなかった阿久だが、飯田の熱意あふれる言葉に「面白い。一丁やってやろう!」とスイッチが入った。

「阿久さんは、まずタイトルありき。そこから詞を考えていくんです」
飯田は阿久と、デビュー曲のタイトル案を出し合った。その中の一つが、阿久が考えた「ペッパー警部」だった。

ビクターの編成会議で新人の2人を呼んでお披露目したが、その場にいた誰もが奇妙なダンスに頭を抱えた。

イチャつくカップルの邪魔をする警部。いったい何の捜査をしているのか?しかも「ペッパー」って?そんなふうに、特に意味はなくても引っ掛かるワードを阿久は好んだ。

「阿久さんは、常に世間の逆を行こうとしていました。“このタイトルだと、やっぱりそう来たか、と言われてしまう。裏をかいてこれで行こう”なんてことも、よくありました」

第4弾「渚のシンドバッド」など、なかなか思い浮かぶワードではない。第6弾の「UFO」では、ついに彼氏が宇宙人に。この頃になると、社内から「そろそろ路線を変えた方がいいのでは?」という声も上がっていたが、阿久も飯田も、それを拒否した。

「面白いし、受けてるんだから、行けるところまで行こう、と。そこは私も阿久さんも一致していました」
飯田は、阿久の書いたものをすべてOKしていたわけではない。

「サウスポー」には、詞曲がまったく異なる別バージョンがある。レコーディング後、飯田がボツにしたものだ。
「どうもピンとこなくて(笑)。書き直しをお願いしたら、阿久さんはムッとしながらも“わかった”と、その日のうちに徹夜で書き直してくださった」

新しい「サウスポー」は、王選手らしきスラッガーも登場する緊張感あふれる快作になり、ミリオンは継続。
もし飯田が旧バージョンで妥協していたら、ピンク・レディー旋風はもっと早く終焉を迎えていたかもしれない……。

「阿久さんとは岩崎宏美も並行して手がけていましたが、そちらは一段一段成長していくよう、本人とちゃんと話し合ったうえで創作されていました。ピンク・レディーのやり方とは両極端で、勉強になりましたね」

岩崎宏美も『スタ誕』が生んだスターである。阿久にとっては娘同然の存在の一人。一切手は抜かなかった。

飢餓感をいかに埋めるか? 時代は常に飢えている

阿久が当時よく口にし、飯田の心に今なお強く残っている言葉がある。「時代の飢餓感をいかに埋めるか?今の時代に、何が足りていないのかを常に考えていなければならない」

時代に求められているが、まだ現れていないもの……それを創り出すのが、自分たちの使命。「時代は常に飢えてるんだよ」と。

「阿久さんの作品には、常に“温度の高さ”がありました。ロックだ、ポップスだ、演歌だ、そんなジャンル分けなんて先生には関係ないんです」

様々なスターを生んでは、底なし沼のように呑み込んでいった70年代。確かに、時代も飢えていた。だがそれ以上に、阿久自身も飢えていたのではないか。

ヒットチャートの頂点に君臨するアーティストに「守りに入るな」と命じたのは、時代に呑み込まれまいとする阿久流の「抵抗」だったように思う。

「ピンク・レディーに関しては、阿久さんも私も、時代の流れに沿わないであえて逆を行った。そうしたら時代の方が味方してくれたんです」

1979年以降セールスにも翳りが見られるようになり、1981年3月、解散。活動期間は、わずか4年7ヵ月にすぎないが、解散から38年経った今も、ピンク・レディーはカラオケで歌われ、動画サイトで何百万回と再生されている。それも若い世代に。

ファンだという20代に理由を聞いてみたところ「ヘンテコで面白いから」。そもそも、時代に沿っていないのだから、古くなりようがないのだ。……78年のある日、飯田のもとにビクター社内からこんな依頼が来た。

「今度、『勝手にシンドバッド』という阿久悠作品のタイトルをつなげた曲でデビューするバンドがいるので、阿久さんに了解を取ってくれません?」

そう、昨年デビュー40周年を迎えたサザンオールスターズである。

「“面白い!こういう遊び心が大事なんだ”と即、快諾していただきました。“桑田くんにも会ってみたい”とおっしゃっていましたね」

現在もヒットチャートの頂点にいながら、時代に決して迎合せず「遊び心」を忘れていない桑田佳祐。阿久の精神がここにも継承されている。

昨年の大晦日、平成最後の紅白歌合戦は「勝手にシンドバッド」の大合唱で幕を閉じたが、肩を抱き合う桑田とユーミンの向こうにニヤリとほくそ笑む阿久の顔が見えた。

「やっぱり、いいタイトルだな」

今も歌われ続ける名曲揃い。2018年にカラオケで歌われた阿久悠作品ベスト20

(JOYSOUND調べ)

1位:「津軽海峡・冬景色」石川さゆり
2位:「居酒屋」五木ひろし/木の実ナナ
3位:「勝手にしやがれ」沢田研二
4位:「時の過ぎゆくままに」沢田研二
5位:「また逢う日まで」尾崎紀世彦
6位:「街の灯り」堺正章
7位:「舟唄」八代亜紀
8位:「時代おくれ」河島英五
9位:「宇宙戦艦ヤマト」ささきいさお/ロイヤル・ナイツ
10位:「五番街のマリーへ」髙橋真梨子

11位:「熱き心に」小林旭
12位:「あの鐘を鳴らすのはあなた」和田アキ子
13位:「北の宿から」都はるみ
14位:「青春時代」森田公一とトップギャラン
15位:「恋歌酒場」五木ひろし
16位:「学園天国」小泉今日子
17位:「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行
18位:「UFO」ピンク・レディー
19位:「ブルースカイ ブルー」西城秀樹
20位:「デビルマンのうた」十田敬三/ボーカル・ショップ

阿久悠作品はカラオケでも人気が高い。特に「津軽海峡・冬景色」はJOYSOUNDで配信されている29万3,000曲の中で38位、演歌ジャンルで1位、60代の年代別で1位とダントツ。

また10~50代の阿久悠索引カラオケランキングでも各世代で1位と幅広く歌われている。ちなみにピンク・レディーの曲で「UFO」(18位)に続いたのは「サウスポー」(37位)、「ペッパー警部」(41位)、「渚のシンドバッド」(42位)。

100万枚超えのオンパレード、
阿久悠のミリオンセラー作品