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悪は存在しない(?)。濱口竜介監督が新作で描いた、濁っていく善と悪

待望の新作映画『悪は存在しない』が公開中の濱口竜介監督にインタビュー。双子のようなサイレント映像『GIFT』との関係、そして映画で描かれる善と悪について。

photo: Satoko Imazu / text: Mikado Koyanagi

濱口竜介監督の待望の新作『悪は存在しない』が公開中だ。昨年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞した本作。その後、海外で先に公開されたものの、なかなか日本で観ることができず、待ち遠しく思っていた映画ファンも多いのではないか。

一方で、昨秋東京フィルメックスという映画祭で、もう一つの新作『GIFT』が、『ドライブ・マイ・カー』の音楽を担当した石橋英子の即興演奏付きで先行上映された。実は、この2本の作品は、もともと石橋からのライブパフォーマンス用の映像を作ってほしいとの依頼から生まれたものだ。

そこで、濱口は従来の制作方法で『悪は存在しない』を撮り、そのフッテージからサイレント映像の『GIFT』を新たに制作した。

「実は、どっちが先ってもう言えない感じがあるんですよね。結果的に、ほぼ同時進行で、同じ素材でやっていたので、本当に自分としては双子のような作品だというのが正直なところですね」

『GIFT』の上映は、『悪は存在しない』の通常の劇場での興行とは異なり、あくまで石橋のライブ演奏付きのイベント形式のものになるという。

「石橋さんは石橋さんで、『GIFT』という映像とセッションするような形でやられているのではないかと思うのですが、映像は、石橋さんに対して、どう演奏しますか、というある種の誘いかけとか、何なら挑発であり続けることを願って作られています」

『悪は存在しない』は、巧とその娘の花が穏やかな日々を暮らす長野の高原のある架空の小さな町に、グランピング施設の建設計画が突如持ち上がり、水源や動物たちの生態系が脅かされる危険を不安視する住民たちの間に動揺が生まれるのを描いた映画だ。

濱口は、『悪は存在しない』という、サイレントではなく、台詞も聴こえる独立した作品を作ろうと思ったきっかけは、撮影中のことだったと言う。

「この映画で掬(すく)い取りたかったのは、最初はすごく視覚的なものだったんですよ。たとえば自然の中にいる人間であったり、人の身体であったり。自分の場合台詞を言ってもらうことは、身体を演出していくプロセスでもあります。この映画には、業者からの住民へのグランピング施設の説明会のシーンというのが、中盤の方に出てくるんですけど、あれは3〜4日目くらいに撮ったんですよ。やっぱり説明会の場面というのは、それぞれのキャラクターが立ってくるところで、これを先にやっておいた方がみんなが演じやすいであろうと考えてそういうスケジュールで撮っていたんです。

これは演者たちに何度も何度もやってもらったというのもあるんですけど、その説明会の場面で皆が、どんどん素晴らしくなっていった。この声を聴かせないというのは申し訳ないような気持ちになって。聴かせるなら、もう石橋さんのライブでということにはならないので、じゃあ別の一本の映画として完成させようというのは、その時くらいからじんわり思っていましたね」

行動原理に嘘がないように

その説明会での対立が象徴するように、タイトルからして、業者側が「悪」、住民側が「善」というわかりやすい対立図式を想像する人もいるかもしれないが、そこは濱口の映画。もちろん、そんな単純な構図に収まるものではない。

「こういうタイトルをつけておいてなんですが、実際のところ人物を描く時に善悪ってあまり考えてはいないんですよ。物語の中のキャラクターは行動原理というものを持っていて、この行動をした人があの行動をしたらおかしいっていう。それは、自分の身体感覚から来るものでもあるんですが。その行動原理に嘘がないように創っていくと、自然と善だ悪だというのは濁ってくるという気がするんですよね。

その辺をちゃんとやっていれば、善とも悪ともつかないような割り切れない存在というものが浮かび上がってくるはずだとは思っているので、そんな風にキャラクターは構築していきます」

そうしたキャラクターの一人、主役の巧には、濱口の制作スタッフとしても関わっている大美賀均が抜擢された。

「いつもは、もうちょっとふにゃっとしたところのある人なんですよ。その人にスタンドイン(撮影の準備作業中に、俳優の立ち位置などを決めるために代理をする人物のこと)をしてもらう時に無表情でいられると、普段は感じないような怖さがある。この人、しゃべらないと、怖いかもって(笑)。その得体の知れない存在感が、彼をキャスティングした理由ですね」

そのように人間を描く一方で、この映画は、湧き水や、水の綺麗さを象徴するようなわさび、また森に横たわる鹿の骸(むくろ)など、自然の描写もふんだんで、これまでの濱口作品を見慣れた目にも新鮮なショットが随所に登場する。

「鹿の骨はリアルなものです。助監督の方が発見したものを手を合わせつつ、撮らせてもらいました。やっぱり自然の中で撮っていると、当然生と死のサイクルが都会よりはっきりと目に見えるというところがあります。水が流れていて、水が綺麗なところには、陸わさびがある。普通わさびというのは水辺に咲くわけですけど、ちょっと離れた水気を多く含んだ土に陸わさびは出てくる。

で、さらにいくと木が生えるわけですよね。木が生えていて鹿はその木の皮を食べている。鹿が時には人間の領域に侵入してくるから猟が起きて、猟師によって殺される、というようなサイクルがあの土地にはあります。そういうことが、リサーチをしていると見えてきました」
 
そして、この映画は終盤、あたりの森での夜のとばり=闇の訪れとともに、トーンが一転する。

「リサーチをしていると、だんだん暗くなっていって、灯りが届かない地域は最後は本当に真っ暗になってしまうんですよね、あの地域の林の中には。この寒さで、ここで迷子になってしまったら大人でも危ない、という感じがあるんです。

それが自然とサスペンスを呼ぶだろうとは思ったので、その時点で物語の骨格というか、誰かがいなくなって誰かがそれを探しに行くという大枠みたいなものは見えてきました。それで、最後はこういう物語になっていくだろうと」

そして、映画は、突如衝撃的なクライマックスを迎える。それは、観る者を当惑させるかもしれない。

「どう解釈していただいても構わない、というのが大前提です。ただ、単に荒唐無稽なものというよりは、私自身は奇妙な納得感を感じつつ書いたり、撮ったりしていました。結局あの場面で誰もが受け取るものは、個人の中に潜んでいる暴力性の噴出みたいなものです。それが少なくとも映画の中にはっきり存在している。観客は当然、それを悪と見なしたい気持ちを強く持つと思います。

ところが、この映画には『悪は存在しない』というタイトルがついている。観客はそれを単に悪と見なすことを禁じられながら観る。タイトルと内容の緊張関係の最も高まるその瞬間、その体験こそが面白いものでは、と思ってつくっています」

同じ映像素材から作られたもう一つの作品『GIFT』

『GIFT』の上映会の様子
Photo by Shuhei Kojima

『悪は存在しない』のフッテージから作られた濱口竜介による映像作品。石橋英子の即興によるライブ演奏が付くことによって完成する。2024年4月から5月にかけて、伊・ウディネ、米・ニューヨーク、シカゴで公演が開催される予定。

『悪は存在しない』
濱口竜介監督の最新作。静かな山間の町に持ち上がったグランピング施設の建設計画が波紋を呼ぶ……。主演に濱口の制作スタッフの大美賀均。共演に西川玲。ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞。4月26日から全国公開中。