記憶を辿り未来につなぐ皆川明のものづくり、井川直子の視座
井川直子
私、〈ミナ ペルホネン〉を知った時、ご自身の名をブランド名にしないファッションデザイナーがいるなんて!と、とても驚いたんです。ご著書によれば、最初から「せめて100年つづくブランドを」と考えていたそうですが、その志と関係があるのですか?
皆川明
人生の持ち時間は限られていて、その中でできることをしても、なんだかとても小さな世界に収まってしまう。ならば、「100年つづけたらこういうことができるだろう」という夢を描いておいて、次の人に「僕の時間は途中で終わるけれど、こんな夢を考えたから、後はよろしくね」ってつなげばいいと思ったんです。
その前提で始めたから、ブランドも個人名にしなかった。僕の名を次の人に背負わせるのは悪いでしょう。
井川
そういえば洋食屋も、〈煉瓦亭〉のようにシェフの名をつけない店が多いんですよ。代々の料理人はその看板を守り、看板を汚さないよう仕事をする。
皆川
なるほど、興味深いですね。
井川
実は私が洋食屋の本を書こうと考えたのは、この世界に後継者がいないと聞いたからなんです。若い人が“洋食はフランス料理など本場の真似”と誤解してしまい、洋食を学ぼうとしない。ゆゆしき問題だと思いました。なのでなおさら、皆川さんがどうやって「つづけ」、「つなげ」ていくのかを伺いたくて。
皆川
ウナギのタレのように、継ぎ足し継ぎ足し熟成させるイメージでしょうか。たぶん思い描いたことの7割8割までは、30年で実現できるんです。でもそこからさらに熟成させようと思ったら、ものごとは本当にちょっとずつしか進まなくて、僕だけの時間では足りない。
井川
だから100年必要なんですね。実際に老舗の洋食屋を取材してみると、彼らも100年、子や孫の代までつづけたいと願って店を始めている。文化を築いていくという矜持(きょうじ)があるんです。
皆川
自分の代で終わりじゃないと考えることは、自由でいられることでもあります。持ち時間の間は精いっぱいやるけれど、時間内に結果を出さなくてもいいし失敗を恐れずトライしていい。駅伝でいえば第一走者。区間を100%の力で走り切ってたすきを次へつなぐ感覚です。
井川
役割を全うするということですね。ところで、ご著書には19~20歳の頃、月に1度代官山のフレンチ〈マダム・トキ〉に通っていたというお話もあって、そんなに早くから!と驚きました。
皆川
お店の方が料理を一皿ずつ丁寧に説明してくれる、その時間がおいしさや喜びにつながることが楽しかったんです。当時勤めていた縫製工場の月給が10万円。3割をそういう贅沢に使ったら、後は立ち食い蕎麦で十分。この振り幅が人生に起伏をつくるんだと信じていました。
井川
いいお話。今もいろんなお店に振り幅広く通っていらっしゃるのですか?
皆川
そうですね、文化はいつの時代も多面的だから。本格フレンチや前衛的なレストランに行くのも喜びですが、昔ながらの洋食屋や家族で日常的に通える食堂のような存在も残したい。僕らの新しい店〈puukuu 食堂〉もそんな思いで始めました。メニューはシンプルだけれど、産地や職人を訪ねて安全な食材を選び、無駄を出さずに使い切る。普段の服づくりと同じやり方で料理をつくっています。
井川
ということは、料理がデザインに影響を与えることもあるのでしょうか。
皆川
直接的に結びつくことはないです。ただ、味も含めたお店の空気感やそこで交わした会話が、印象や感覚として僕の中に積み重なり、その「よい記憶」がミックスされてデザインに滲み出ているのかもしれないな、とは思います。
井川
あぁ、素敵。人は味だけで店に通わない。その周辺にある居心地や、誰と食べたかというごく個人的な「よい記憶」に導かれて通い続けるんですよね。
皆川
おいしさという基準とも少し違う、自分の中に染みついたうれしさのようなものかもしれませんね。僕、食堂に子供連れの家族がいると、絵を描いてあげるんです。「店にいたおじさんが絵を描いてくれた」という記憶が残ってくれたらいいな、と。
井川
ふふふ。そして数年後にミナの服を見て「あのおじさんだったのか」って。
皆川
洋服も洋食も、大切なのは「よい記憶」をつくるためのきっかけ。そこにこそ喜びや輝きがあるはずですから。