現代アーティスト6名による、写真を眺め、選び、考える愉悦
1960年代は前衛芸術家として活躍、70〜80年代は漫画やイラストを雑誌などに寄稿、86年には路上を観察し機能を失ったものを「トマソン」と名づけ観察する〈路上観察学会〉を結成した。ジャンルに縛られず、常にアバンギャルドを貫いた赤瀬川原平。老いることや人間の弱さ、路上のものを捉え直すユーモアと反骨の視点は多くの人に影響を与えた。
赤瀬川が路上に繰り出す際には、常にカメラを携行していた。後に写真家の高梨豊、現代芸術家の秋山祐徳太子とともに〈ライカ同盟〉を結成、「お稽古」と称して撮影旅行に出かける。得意の観察眼と描写力でカメラ雑誌などにも多数寄稿していた。
“反芸術”としての路上観察
「赤瀬川原平になりたいと思ってました」と笑いながら話す鈴木さんは、美大の授業で赤瀬川原平の存在を知り、一気に引き込まれたという。
「赤瀬川さんのことを知ったのは、90年代の終わり頃、『老人力』という言葉が出てきたくらいの時期ですね。前衛芸術をやっていた頃のことは知りませんでした。“芸術”という言葉で括(くく)られたものや何か意図をして人が作ったものよりも路上や日常に既にあるものを発見した時の驚きの方がすごいと言っていて。確かにそうだし、それ以上のものはないなって思っていました」
その後、鈴木さんはアーティストとして、東京大学先端科学技術研究センターにアトリエを構え活動していた。2007年、憧れの人に偶然出会うことになる。当時、同じキャンパスで建築家の藤森照信が展覧会の準備をしており、縄文建築団のメンバーである赤瀬川が作業をしていたのだ。
「芸術という枠組み自体を疑っている赤瀬川さんに、アーティストですなんて名乗って会いたくないですよね(笑)。だから何も言わずに作業を覗いていたら、藤森研の先生に見つかって“ファンなの?”と大きな声で言われて。偶然持っていた作品の試作を面白がって見てくれたんです。学生だと思われたのかもしれません。でも、その距離感がちょうどよかった。作品もそう。美術館やギャラリーではなく、路上や日常で輝きを放つのが赤瀬川さん的作品だと思うし、そういう作品を作りたいなと思っています」
“芸術”という制度を疑いながらも、その本質を見抜く赤瀬川の視点は、その後のアーティストたちにどういう影響を与えたのか、そして彼らがどういう視点で写真を選んだのか。展示を通して「見る」ことについて改めて考えたい。
鈴木康広さんがセレクトした写真の中から。20枚というオーダーに対し、選び切れず30枚を選んだという。そして、それぞれの写真に自身の視点でタイトルをつけ、ドローイングを制作。そのドローイングは会場配布の資料で見ることができる。