Talk

Talk

語る

杉山恒太郎×奥山由之の広告談義。クリエイティブはどこに向かっていく? 〜後編〜

過去と現在を行き来しつつ、広告クリエイティブの魅力を語り合う2人。近年、TVCMの監督も務めるようになった写真家の奥山由之は、広告表現の本質に関わる疑問を先輩の杉山恒太郎にぶつけた。前編はこちら


初出:BRUTUS No.869「居住空間学2018 歴史をつなげる部屋。」(2018年5月1日発売)

photo: Kazuharu Igarashi / text: Kaz Yuzawa

奥山由之

広告って対象が広いじゃないですか。でも、少数の人の圧倒的な情熱で作られたものほど、人の心に刺さるものはないと思うんです。想いを込めたラブレターほど強い表現がないように。

そう考えると企業も人の集合体だから、最後は一対一の信頼関係かなと。多くの人の意見が混じり合って作られたものが人の心に刺さるのか、疑問に感じています。

杉山恒太郎

「多くの人」っていないからね。いるのはあくまでたくさんの個人。マーケティング至上主義に陥っていた欧米でも近年、コンシューマー、消費者なんていないという反省がなされているんです。

コンシューマーという都合のいい記号を考えるんじゃなくて、ちゃんと人間と向かい合って、人間のことを考えようという機運が出てきている。

奥山

揺り戻しですね。個と向かい合うという点では、フォルクスワーゲンの「THINK SMALL」(1960)も好きです。「大きいことはいいことだ」的なアメリカのクルマ文化に対するスマートなメッセージ広告。逆転の発想がカッコイイ。

杉山

うん、「THINK SMALL」は今も世界で人気投票をするとナンバーワン。広告の教科書だよね。デザイン、書体、レイアウト、すべてがパーフェクト。

奥山

クルマの広告って観る側が圧力を感じるものが多いけれど、これは誌面の左上にビートルが1台だけ。その佇まいが潔く、そしてかわいらしい。

杉山

知的なニュアンスがあるよね。この広告を作ったDDBは同じ頃に、アートディレクターとコピーライターが最小ユニットを組むモダンアドの基本スタイルを確立している。自分たちもTHINK SMALLを実践していたわけだね。

奥山

それは素敵なエピソードですね。

杉山

最後に僕が異常に好きなCMを観てください。こういうのを作れるなら、一生コマーシャル作るのもいいな(笑)、なんて思ったCM。ボルボの「DADDY LOVES ME」(1992)。

子供たちがどれだけパパに愛されているかを自慢し合っていて、「僕のパパは僕のことが大好きだから野球のグローブを買ってくれた」「僕のパパはグローブとテレビゲームを買ってくれた」って自慢するんだけど、最後に女の子が「私のパパは私のことが大好きだからボルボを買ったの」。で、ボルボのロゴ。

もちろんこのCMは、ボルボが何十年もの間、安全を訴え続けてきた歴史があるから成り立つわけだけれど、これは欧米人のレトリックの極上の形。甘ったるい形容詞を使わずに語って、ホントにきれいなオチがついている。初めて観たとき、あまりにきれいで涙ぐんじゃったくらい。

奥山

「ボルボを買ったの」って聞いた瞬間、鳥肌が立つ感じ。上質なユーモアも感じられますね。

杉山

きれいに説得されると、人は気持ちよく感じるんだよ。名広告には必ず、観た人をきれいに説得するアイデアが存在する。僕が本のタイトルを『アイデアの発見』にしたのは、広告のアイデアはクリエイティブ以外のビジネスシーンにも活かせるはずだと考えたから。

奥山

たしかにそうですね。ただ現代の広告で残念なのは、均一化してしまって当たり障りないものが大勢を占めているように感じること。一体どうして、こういった状況なのでしょう。

杉山

厳しいこと言うねえ。でも僕もその通りだと思うよ。説得という点ではクライアントこそクリエイティビティを発揮して、気持ちよく納得してもらわないといけないよね。

その点、今の日本には世の中と無関係な顔をした広告が多すぎるのかもしれない。世の中や人間ときちんと向き合うことで初めて、上質なユーモアも生まれてくるんじゃないかな。