「犬と一緒にどこまでも荒野を旅できたら、そんな面白いことはないよな」。そう言って頭を撫でる主人の顔を見上げる犬は、「うん、うん」と頷いているように見える。“サバイバル登山家”の服部文祥さんとパートナーのナツ。
お金を持たず、山中で狩猟をしながら食料を得て北海道を徒歩で旅する“無銭徒歩旅行”を行ってきた。宗谷岬から襟裳岬への縦断、白神岬から知床(しれとこ)岬への横断という壮大な旅。現金もカードも連絡手段も持たず、長い時には2ヵ月近く山と山をつないで歩き続けた。
大学時代から本格的な登山を始め、世界2位の高峰K2登頂や、黒部別山、剱岳(つるぎだけ)東面の初登攀(とうはん)など多くの記録を持つ服部さん。1999年からは長期山行に極力装備を持ち込まず、狩猟によって食料を調達する“サバイバル登山”を実践してきた。
「世界中の山が登り尽くされた今、初登頂にこだわる必要がなくなった。若い頃は生まれるのが遅かったと思ったけど、今はよかったと感じます。“無銭徒歩旅行”なんて発想は、今じゃないと生まれなかったから」


国内の多くの山で単独のサバイバル登山を行ってきた。初めて歩く山はほとんどなくなり、新鮮味を失っていた時、ナツと出会った。
「北海道の知人から庭にある洞穴の中で野犬が仔を産んだと聞いて。母親はウサギなどを狩って生き抜いてきた生粋の野良。その血を継いでいたら一緒に猟ができるかもしれないとも思いましたが、とにかく一緒に旅がしたいというのが大きかった」
幼い頃から犬と荒野を旅するのが夢だった。書棚には、かつて犬とともに未知の世界を旅した冒険者の書が並ぶ。仔犬時代から一緒に山を歩き、狩猟に同行してきたナツは、最初こそ仕留めたシカの前で尻尾を股に挟んで怯えていたが、次第にシカを見つけ、果敢に追うようになった。
「犬がいなくても狩猟はできるけど、ナツがいると面白さは格段に上がる。人と犬とでは動物の見つけ方が違って、身動きがとれない場所までナツがシカを追い込んで俺がナイフで刺す。鉄砲を撃たずに獲るなんて、自分だけではなかなかできないから」

歩いたことがある山も、ナツと一緒だと新鮮になる
ナツとの関係性を服部さんは「1頭と1人のユニットみたいな感じ」と言う。「異なる才能や技術が合わさって獲物が獲れた時、感じたことのなかった喜びが生まれる」とも。とはいえ言葉が通じない相手。山中でシカを追ったナツが何時間も戻らないということは何度もあった。
「ナツがいなくても山行を続けようっていう考えはないよね。かつて北極点を目指したフリチョフ・ナンセンなど、飢餓に陥った末に犬を食べた探検家もいるけど、そこまでドライにはなれないし、国を背負った探検でもないし。旅そのものにナツがいることが重要だと思ってるから」
ナツがいることで、一度歩いたことのある山も新鮮に思える。お金や通信手段を持たないことで荒野状態を作り上げる“無銭徒歩旅行”もナツの存在なしには生まれなかった。

「ナツを山や狩猟に連れていくことにはもちろん危険が伴う。でも安全な家の中に閉じ込めておくことがナツにとって幸せなのだろうか。山を駆け、体いっぱいに喜びを表しているナツを見ていると、そうは思えない。命というのは使わなくてはその存在の意味がない。たとえ危うさがあったとしても、命を露出させ、体験すること。それが、ナツがナツであることに欠かせないし、自分もまた同じ。生きるとは何か、ナツとの旅を通じて、改めて考えています」