写真・安彦幸枝
「猫が家にいてよかったと思うのはベッドで一緒に寝るとき。幸せを感じられます」
「猫飼い」には2種類いる。猫を飼いたくて飼う人、猫と出会ってしまい飼うことになる人。彼女の場合は後者だ。
「なぜかずっと猫とのご縁があって。ある日突然庭に猫がやってきたり、棲みついた猫が子供を産んでしまったり、仔猫を保護してしまったり。私はずっと流れに身を任せて生きてきたので、同じように流されてきた猫たちがそのときどきで合流し、仲間になっていると感じるんです」
実家の庭に通ってくる野良猫「アフ」と「サブ」の姿をコミカルに捉えた写真集『庭猫(にわねこ)』で知られる写真家の安彦幸枝さん。聞けば「猫とのご縁」は中学生の頃に遡る。
「郊外に両親が家を建てて、庭にいろんな猫がよく来るようになったのが最初でした。私も親も猫が好きだったので、やってくるとご飯をあげて世話をして。やがて姿を見せなくなると、また新たな猫がやってくる。毎年メンバーが替わっていく感じでした。母は保護活動家ではないですが、人慣れしていれば里親を見つけてあげたり、避妊手術を受けさせたり。家にいつく猫もいましたが、家と外を自由に行き来するので、出たり入ったり。“完全室内飼い”という言葉もなく、猫はそうやって飼うのが当たり前という時代でした」
ちなみに、イエネコのルーツといわれるリビアヤマネコは、約1万年前、人間のそばにいれば食住に困らないというメリットを見出し、イエネコへと進化したという。ただそれは、人間に馴染むことが「できる」だけで軍門に降(くだ)ったわけではない。
「メシをくれ」「寝かせろよ」「お礼にときどき触らせてやる」「でもお前の言うことは聞かないよ」。猫にしてみればそんな気持ちなのだろう。でも今の世の中、こと東京のような都会では、「付かず離れず」の距離を保つのは難しい。
「だから、すごく葛藤があるんです。猫にとっての幸せは何かを考えると。猫のため、猫によかれと思ってることも猫を窮屈な生活に押し込めてしまうことになっているようで」
2021年に刊行したフォトエッセイ『庭猫スンスンと家猫くまの日日』でもその「葛藤」は描かれている。メス猫「くま」と暮らす安彦さんの家の庭先に、ある日突然オスの野良猫が現れた。彼は近所でよく見かける猫。庭に現れる前日も見かけ、ガリガリに痩せ細った姿に同情し、「あそこが私のうちだよ。困ったらいつでもおいで」と声をかけた。すると翌日、本当に現れたという。病気持ちのためしょっちゅう鼻をすんすん鳴らすので「スンスン」と名づけ、なんとなく面倒を見るように。
「家の周りが細い路地だったので猫がたまりやすい地域だったと思います。スンスンはうちのほかにも立ち寄る場所があって、周囲の2〜3軒でご飯をもらっている様子でした。あるとき、近所をパトロールするスンスンの後をつけたら、駄菓子屋のおじさんに“タロー”と呼ばれていて。おじさんいわく“タローはこのあたりのボス猫だった”と。別の家では“ゴン”と呼ばれていました」
外で暮らす猫の環境は厳しい。車が多い都会では交通事故の危険もある。感染症を患い、体力の落ちたスンスンのような猫は、面倒を見るなら家に入れるべきかもしれない。しかし、安彦さんの家にはくまがいる。病気が伝染するリスクを考えれば憚られる。くまを別の部屋に閉じ込め、スンスンを家に上げることもあったが、しょっちゅう家に入れることはできなかったという。出会ってから9ヵ月後、スンスンは亡くなる。
「もう一つの立ち寄り先の家の庭で亡くなったんです。具合が悪くなるのを見てしまうと苦痛を取り除いてあげたいと思うからどうしても病院に連れていってしまうし、看病をしたくなる。でも、本当にそれがいいのかと考えてしまう。猫にとって病院は恐怖でしかないし、人間にあれこれ世話を焼かれるのは逆にストレス。猫は調子が悪くなると身を隠してひたすらじっとする習性がありますが、それで体力が戻らなければそのままひっそりと死ぬ。それが猫のあり方だとも思うんです」
実はくまも元野良猫。ある日突然庭にやってきた流れ者だ。クマザサの中から現れたので「くま」。
「昔、友人たちと一緒に大きな家で共同生活をしていたことがあって、そこで出会ったんです。同居人はみんな猫が好き。だから、くまはみんなの猫。くまも誰にでも心を開く付き合いのいい猫でした」
安彦さんは20代半ばから30代後半まで、実に10年以上にわたり約30人の友人たちと共同生活を送っていたという。ミュージシャン、映像作家、絵描き、写真家……。アーティストの卵が多かったそうで、中には映画監督やイラストレーターとして名を成している人もいるそうだ。
「十数年の間、3軒家を替わっているんですが、そのたびに仲間たちも入れ替わって。居間にテントを張って住む人もいたし、旅行者が長期滞在することもあった。だいたい、夜もお正月も窓のカギが開きっぱなし。自由すぎる家でした(笑)」
安彦さんは固定メンバーで、それ以外は、気に入ればいつき、時期が来れば去っていく。カッチリ決め事を作らずゆるやかに集まり暮らす。それはまるで庭猫のような生活だ。「そうかも(笑)。猫も人もそれが私のベースにあるのかもしれません」
共同生活解散後、安彦さんは結婚、くまは安彦さん夫妻が引き取り、その後9年間一緒に暮らした。「合計すれば17年間。出会ったときくまは大人だったので本当は何歳だったのか。レントゲンや歯から獣医さんが推測すると20歳超えでした」
仔猫たちを受け入れた孤高の猫の穏やかな晩年
現在、安彦さんと暮らすのはメス猫ピーヤとオス猫タロ。赤ちゃんのときに保護をした。
「友人から、祖父母の家が取り壊しになるので荷物を片づけに行ったら家に猫が入り込んで仔猫を産んでるんだけどどうしよう、と連絡があったんです。そこで私が保護をして。それがピーヤ。生まれたばかりの猫を育てるのは初めて。ミルクを飲ませ、排泄の世話をして。大変でした。最初は里親を見つけるつもりでしたが、情が移ってしまいそのまま飼うことにしました。
その2ヵ月後、また同じ場所でメスとオスの仔猫が見つかった。見つかった時期が違うので、同じ母親ではないだろうけど、柄が似てるのできっとピーヤと同じ一族なんだろうなって。ミニミニとタロと名づけ、今度こそ里親をと思ったんですが、なかなか見つからず。結局、ミニミニは友人が引き取ることになり、タロはうちに残しました」
仔猫たちが安彦さんの家にやってきたとき、老猫くまはまだ元気だった。気の強いくまが仔猫を受け入れるかを心配したが、杞憂だった。
「くまは一匹でいることが好きな孤高の猫。私たちもそれで満たされていると思っていたんです。でも、仔猫が増えたら案外楽しそうで、ピーヤとタロも“おばあちゃん”が大好き。いつも両脇からくまを挟んで温めて。それをくまも“悪くない”と思っているように見えました」
前半生は安彦さんの仲間たちと一緒に自由に生きたくまだったが、安彦さん夫妻と暮らした後半生はずっと家の中で過ごした。くまは出たがったが、安全を考えるとリードをつけて庭に出すのが精いっぱい。
「だから、ピーヤとタロと暮らすことで、くまも晩年は幸せだったと思いたいなって。田舎暮らしをしている友人がたくさんの猫と暮らしているんですが、とてもおおらかに飼っていて。猫たちは昼間は外に出て、周囲をパトロールしたり木に登ったり、夜になると帰ってきて安全な家の中で一緒に寝る。人間にとっても猫にとってもそれがいちばん幸せなんだろうなってよく思うんです」