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河瀨直美が観た、釣り映画の名作『リバー・ランズ・スルー・イット』

フライフィッシングを通じて心を通わせ合う家族の絆を描いた『リバー・ランズ・スルー・イット』。この釣り映画の名作を観て、雄大な自然を舞台に作品を撮る河瀨直美さんが感じたこととは。

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text & edit: Emi Fukushima

川面を美しく捉えた映像に始まり、雄大に流れる川のワイドショットで締めくくる。その映画全体の構成にも象徴されるように、本作からは一貫して、家族の傍らに“いつも川がある”ことが印象づけられます」。河瀨直美さんがそう語るのが、1992年の映画『リバー・ランズ・スルー・イット』。20世紀初頭のアメリカ・モンタナを舞台に、兄弟の成長と葛藤、絆が豊かな自然の情景とともに活写されている。

「兄のノーマンは真面目でおとなしく、弟のポールは活発で奔放。共に厳格な父の下に育ったにもかかわらず、性格は対照的です。ゆえに異なる人生を歩んでいきますが、釣りだけが2人をつなぐものであり続ける。その設定が見事だなと思います」

物語は、老いたノーマンが川辺で釣り糸に毛鉤(けばり)を結ぶ冒頭から、若き日の回想へと突入していく。随所で描かれるのが、兄弟、あるいは親子でフライフィッシングをする場面だ。

「釣りのシーンは一貫して、撮影面、編集面のいずれにおいても美しさに重きが置かれていますね。彼らが竿を振る場面を遠景で収めたカットからは郷愁をももたらされます。また川のせせらぎや釣り糸が風を切る時の音も印象的。魚を釣り上げる瞬間は、とりわけ尊い一瞬です」

写真:AFLO

自然が持つ美しさと脅威、その両方を描くということ

かく言う河瀨さんも映画作家として、自然が織り成すさまざまな情景を捉えてきた。自身のルーツである奈良を舞台に、山間の小さな村で暮らす家族の変化を描いた『萌の朱雀』や、認知症の老人と介護士が、亡き家族の弔いのために森へと歩を進める『殯(もがり)の森』はその筆頭たる作品だ。

「私はいつも、自然もまた“一人の主人公”だという気持ちを持ってカメラを向けています。そのうえで大切にしているのは、美しさと脅威を同時に描くことです。鬱蒼とした森の風景や差し込む光、吹き抜ける風は私たちを大いに癒やしてくれますが、地震や津波、台風などに命を奪われることもありますよね。コントロールできない存在だからこそ、昔から人間は、神を媒介に猛威を鎮めようとしてきた。つまり自然は元来、人間の生き死にに密接に関わる存在なんです。その本質的なありようを表現したいなと、常々考えています」

そうした自然の二面性は、本作『リバー・ランズ〜』でも描かれていた、と河瀨さん。表れるのは、映画の終盤に、大人になった兄弟が、父と久しぶりに釣りに赴く場面だ。

「現実でそれぞれが抱える問題は脇に置き、少年時代のように彼らは無邪気に楽しむ。そこでポールは大きな獲物を糸に掛けます。上半身まで水に浸かり、流れに体を取られながら格闘するのですが、そのさまに、観賞者の頭には一抹の不安がよぎるんです。彼はこのまま溺れてしまうのではないか、と。結果的にそれは杞憂に終わり、その場面は家族の美しい思い出の一ページに加わりますが、そこで確実に想起させられた死のイメージは、後に家族に訪れる悲劇を暗示しているようにも思えます」

またもう一つ河瀨さんの心に残ったのは、兄弟の自然との接し方だ。

「本作の時代設定は、今からおよそ100年前。映し出されるモンタナの風景からも土埃が舞うようなワイルド感が色濃く感じられます。そしてそこには、近代化される前に人が自然といかに付き合っていたかも表れていると感じました。劇中、兄弟が度胸試しで荒れ狂う川をカヌーで下る場面があります。一歩間違えば命を落とすようなことにも彼らは軽々しく挑戦する。このことが示すのは、元来人間は自らが持つ猟奇的なエネルギーを自然に対して発露していたんだなということ。多くの情報を糧に“お利口”になったことで、そのエネルギーをインターネットに閉じ込めている現代と照らし合わせると、自然と人との原初的な関係性にも一つの示唆をもたらされます」

変わらぬ愛を確かめるため川で竿を振り続ける

美しい釣りのシーンを織り込みながらも、映画はある悲劇的な出来事を経て幕引きに向かう。ラストは再び、老いたノーマンの場面へ。竿を片手に、独り川に足を踏み入れる。

「彼が老いてもなお釣りに出向くのは、幸せな思い出を呼び覚まし、家族への変わらぬ愛を確かめているのだろうと想像します。その背景には、若き日と同じように“いつも川がある”。たゆたう流れに身を置き、四拍子のリズムで竿を振る。変わらぬ自然が目の前にあるだけで、人は救われることがあるのだと思います」

写真:Album/アフロ

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