恩田陸『夜のピクニック』

みんなで、夜歩く。ただそれだけのことがどうしてこんなに特別なんだろう——
たくさんの予感に満ちた、不朽の名作である。
恩田陸さんの『夜のピクニック』は、2004年に刊行され、第2回本屋大賞、第26回吉川英治文学新人賞を受賞している。
伝統行事である「歩行祭」にそれぞれの思いを抱えて参加する生徒たち。夜通し80キロメートルを歩くそのみちゆきで、彼ら彼女らは何を感じ、語らうのか——。
小学生のころ河口湖の近くに住んでいたことがあって、そこでは夏休みに近隣の学校から有志が集まり、3泊4日で100キロ歩くという行事があった。
今では時代が変わったのでもうその規模では行われていないだろうが、初めて『夜のピクニック』を読んだ中学生のとき、かつて感じたわくわくと、高校生活で感じるかもしれないわくわくの両方を味わえた気がして、たまらない気持ちになった。
メインキャラクターの西脇融や戸田忍、甲田貴子、遊佐美和子などについては、何度も読み返しているため強く記憶に残っていた。けれど今回再読して、そのほかのキャラクターたちの魅力に改めて気づかされた。
たとえば、西脇融に何かとちょっかいをかけてくる女子生徒・内堀亮子。したたかで空気を読まないマドンナ的に描かれている彼女のことを、今まではどちらかというと苦手な人だなと思っていた。
だが今回は、なんだかちょっとかわいそうな気がした。彼女も彼女なりに歩行祭を楽しもうと思っていただろうし、なんだか人物造形に妙なリアリティがあって、なんとも言えない感情を抱いた。
そんな彼女とラストに絡む、というか最後に美味しいところを持っていく男・高見光一郎もかなり印象の変わった一人だ。
10代のころ読んだときは、うわあ、いるいるこういうお調子者。めちゃくちゃ苦手なんだよな。と斜に構えた捉え方をしていた。
ところが不思議なことに、30代の今読むと、むしろ彼が一番大人なのでは?と印象が様変わりしてしまった。具体的に彼がどんな行動をするのか、それはぜひ皆さまご自身の目で確かめていただきたいぜ、ベイベー。
とまあ、繰り返し読んでいるのでやや斜めからの愛情表現になってしまったけれど、とにかくどの角度から読んでも沁み入ること間違いなしの傑作だ。

恩田さんの作品は、「青春」という切り口で語られることも多いように思うが、本作もまさしく青春小説の金字塔であるといえよう。
実際、作中でも様々な形で「青春」についての言及がなされており、読み手のライフステージの変化によってその味わいがうつろいでゆくのも、何歳になってもこの作品を読みたくなる秘密の一つなのかもしれない。
引用して語りたい文章があまりにも多く、文字数が足りないので、最後にあえて、全文読まないとぐっとこないシーンを引いて筆をおくことにする。
この先ぼくは何度も何度も、彼ら彼女と一緒に、夜のピクニックに出かけるだろう。
貴子は融の視線の先を見た。
世界に光が降り注ぐ。
ぞろぞろ歩いていく友人たち。埃っぽい道。近づいてくる街の喧騒。
しかしその時、二人は見えないものを見ていた。
目には見えないが、全く同じものを。