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世界に届く山下達郎サウンド。アメリカでDJたちが再発見した日本のシティポップ

日本の70〜80年代の洗練されたポップス=シティポップの人気は、世界中でピークを迎えている。山下達郎をはじめとする日本の音楽がどのようなファンに愛されているのか、改めて現地の最新の声をレポート。

text: Shino Okamura

アメリカでは…

「2000年代半ば、熱心な音楽好きたちが日本の音楽をブログで紹介し始めたのを覚えてます。その後、ファンク、ソウル系のDJやコレクターが日本でシティポップ系のレコードを買って帰ってきてクラブでかけるようになったんです。僕も友人に“ヤマシタタツロウって知ってるか?”と聞かれるようになりました(笑)」

世界中で70~80年代の日本のシティポップが聴かれるようになって久しい。近年はネット上の音楽ファンやDJたちが“発見”したシティポップにミュージシャンも注目し始め、2019年にはヒップホップ・アーティストのタイラー・ザ・クリエイターが自身の曲で山下の「FRAGILE」の一部をサンプリングして大きな話題となった。LA在住の日本人の音楽プロデューサー、北沢洋祐氏は語る。

アメリカ〈Face Records NYC〉店内
シティポップを数多く扱うNYのレコード店〈Face Records NYC〉。

「YMOが入口となって山下達郎を好きになった人も多い。ただ、日本からレコードを買って帰ったような若いDJは中古レコード店の安いセクションの中からジャケットを見て直感で選んだりしたみたいです。で、実際に聴くと“日本にもこんなにグルーヴのある音楽があるのか!”と驚いてクラブでかけるようになった。つまり、先入観なしに新しい音楽として聴かれるようになったんです」

2010年代になると、こうした音楽はSNSを通じ一気に拡散されていくように。さらに70〜80年代のアメリカ西海岸ロックがヨット・ロックの名で再評価され始めた流れとも合流し、その動きは加速していく。北沢氏が編纂しアメリカで発売された一連のジャパン・アーカイバル・シリーズ(『Kankyō Ongaku』『Pacific Breeze』など)は逆輸入の形で日本でも話題となった。

「日本で作られたいい音楽として聴いてほしいですね。山下達郎の作品もそうだけど、あの時代のシティポップはいいスタジオで録音されていることもあってプロダクションクオリティは高いし、プレーヤーの演奏技術もありアレンジセンスも卓越していた。

今は暗い時代なので好景気だった80年代の作品に惹かれているのかもしれないですけど、できればどんな環境で作られたのかも知ってほしい。当時はシンセサイザーの開発が進んでいて、まだ高額だったにもかかわらず多くの現場で使われていました。アートのために企業がお金を投じるなんて、今だと信じられないですけどね」

DJたちが再発見した
日本のシティポップ

北沢氏のほか、ネットラジオ〈dublab〉の創設者マーク“フロスティ”マックネイル、DJのザック・カウイー、DJ・ミュージシャンのアンディ・キャビックらが編纂した、シティポップのオムニバスアルバム2作品。

『Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1976−1986』(左)には、海外のリスナーに人気の細野晴臣「SPORTS MEN」や佐藤博「Say Goodbye」が収録。阿川泰子の「L.A. Night」もDJ御用達だ。

『Pacific Breeze 2: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1972−1986』(右)には、ブレッド&バター「ピンク・シャドウ」や大瀧詠一「指切り」のほか、山下達郎が作曲を手がけた笠井紀美子「バイブレイション」が収録。ここでも山下達郎ワークスの人気が窺い知れる。

オムニバスアルバム『Pacific Breeze Japanese City Pop, AOR & Boogie 1976‒1986』
『Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1976-1986』
オムニバスアルバム『Pacific Breeze 2 Japanese City Pop, AOR & Boogie 1972‒1986』
『Pacific Breeze 2: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1972-1986』