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養老孟司が語る、人間が猫を愛する理由

さまざまな分野の見識に富み、各界の信頼を集める養老先生は、実は飼い猫の「まる」にメロメロ。巨漢「まる」は今日も自由気ままに養老家を闊歩する。あの先生をもノックアウトする猫の魅力とは一体何なのか?医学、生態学、社会学……。あらゆる見地から、先生が分析する。

Photo: Maki Ozeki / Text: Sawako Akune / Cooperation: Yoro Research Laboratory

猫が思い出させてくれる
「自己」や「個性」

猫の魅力としてまず最初に挙げられるのは、見た目の幼児性。体も顔も丸っこく、目もぱっちりしてあどけない。そういう身体的特徴が大人になっても保たれます。

特に猫は、目が顔の前面に寄った両眼視で、両目で物を見ています。これはサル科の動物に多い特徴で、ほかの動物、例えばウサギやニワトリなどは、両方の目の視界はほとんど重なりません。

つまり、人間が人間の顔を表現する方法が、猫にはそのまま使える。「不機嫌そうだな」とか「考えごとしてるのか?」とか、人間になぞらえやすいんだね。

それから行動にも幼児性を残している部分がある。猫が両手を交互に動かして、お乳を飲むような行動をすることがあるでしょう。ウチのまるも、もう4歳を過ぎているけど、まだヨダレ垂らしながらもみもみやってますよ(笑)。ペットとして飼ってきた歴史の間に、猫の幼児性を維持するように選んできたんでしょうね。

さらに言うなら、姿形に加えてサイズもちょうどいいんです。そもそもネコ科は動物として完成された体型をしています。跳躍力なんかを考えれば分かるように、機能的によく出来ているんです。でも、同じ猫の形をしていても、あれ以上でかくなったらライオン。かわいいっていうより怖い(笑)。

僕は以前、サルを飼っていたことがあるんです。同じ頃に仔猫を飼いはじめたら、サルが仔猫を大好きで、抱きしめちゃうんだよ。仔猫はもちろんギャーッと鳴いて嫌がってたけど。

子供もサルと同じように、猫にうわっと抱きついちゃうでしょう。サルや子供でさえ本能的にかわいいと思う要素が、猫には備わっているんです。

人間は猫の前で
完全な個人である

社会的な視点から言うならば、今のペットブームの背景にあるのは、動物はしゃべらないということ。僕たちが生きている社会は言葉が多すぎるんだよ。それぞれが言葉の意図を量ることをひたすら続けてさ。

一方、動物との付き合いは、行動から推し量ることのみです。だから、動物と向き合うことで、人間は付き合いの原点に戻ったような感覚になるんじゃないかな。仕草や行動で分かる、って長年連れ添った夫婦みたいだけど(笑)。
ブームとは常に補完関係があって発生するもの。今の社会に欠けている付き合いが、動物とならば可能なんですよ。

レヴィ=ストロースは、人類社会は交換から始まると言っています。これを脳の能力から言うと、人類社会は「同じ」という認識から始まった、となる。サルが死んだウサギを持ってきて、犬はキュウリくわえてやってきて、それを取り替えられれば便利だよね。動物市場(笑)。

それができたなら、動物は生きていくのがすごく楽になる。でも、ウサギとキュウリがイコール、交換可能だという考えは動物にはないから、市場は成り立たない。それを始めたのが人間です。

人間は、どんなに違う顔や体格をした人間であっても「ヒトだ」とカテゴライズできるでしょう。これが「同じ」の能力。突き詰めていくとこれは、交換を媒介するお金につながっていく。

でもね、「同じ」と認識する時、感覚の部分では、二者の違いは分かっているんです。それを、社会を成立させるために、脳の中で「同じ」だと認識している。だから行きすぎると、感覚が鈍っていってしまうんですよ。今の社会はそういう状態にあるんだと思います。

よく「ウチの猫や犬は名前を呼ぶと分かる」って言ったりするけど、あれも違うんだよ。僕が「まる」と呼ぶのと、女房が「まる」と呼ぶのとでは、音程や声色が違う。絶対音感の彼らにとって、それは違う言葉です。人間の子供だって初めはそうなんだけど、父親に呼ばれた時と母親に呼ばれた時とで違う言葉だと認識していると社会は成り立たないから順応していく。

対して「同じ」の能力がない猫は、いつまでたっても出会うひとりひとりを「人間である」なんて思わない。違う顔をして、違う声を出すんだもの、猫にとってはそれぞれが別の生き物なんです。

つまり、自己とか個性といったものは、動物が相手だといちばんよく理解されるんだよね。猫と相対する時、人間はまったくの個人でしかなくなっています。それが心地いいんですよ。

まるを見ていると
働く気持ちがなくなる

猫みたいに、身体感覚のみに忠実だったら当たり前のことが、今は分からなくなっているんですよ。僕なんて、まるを見てると働く気がしなくなるもんな(笑)。いかにいつも無理して動いているかってことですよ。

忙しい自分を反省するのなんてしょっちゅう。好き勝手にやって餌が欲しい時だけ僕のとこに来て鳴く。僕がいなけりゃ「なんだ、いねーのか」って何か別の方法を考える。「あれでいいんだ、生きていくのは!」って。

なんとかなるし、なんとかならなくても知ったこっちゃないというあの感じ。猫だけが持つ、最高の魅力だと思います。

僕は、人間といる時には情緒的な人間ではなく、むしろ感情を抑えるほうです。動物はそれをまるごと出しても平気な相手だから楽なんです。どう思ってるのかは知らないけど、何も気を遣う必要がない。言われていることはきわめて簡単、「餌くれ」だもんね(笑)。喜んで使われてやりますよ。

解剖学者・養老孟司と飼い猫・まる
自宅へのアプローチに座る、先生と「まる」。人間さながらのこの座姿勢は「まる」お得意のポーズ。二者ともリラックスしきった表情。まるは2004年生まれ。体重7kg、貫禄十分のスコティッシュフォールド。