オカルト研究家・吉田悠軌は窓が怖い

photo: Satoshi Nagare / text: Yuki Yoshida, Emi Fukushima

「あなたが本当に怖いものを教えてください」。恐怖を知り尽くしたオカルト研究家・吉田悠軌さんにそう尋ねた。 人がホラーを求めるのは、単に驚かされ、スリルを味わいたいからではない。 普段は気づかないような心の奥底にある何かに触れられたとき、人は大きな恐怖に襲われる。それはとてつもない快楽でもあるのだ。

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私は窓が怖いのです。

私が室内にいて窓ガラスの外に夜の闇がある。その向こうに特になにがあるわけでもない。でも、それがたまらなく怖いのです。これは1980年に生まれた私が初めて震えあがった怪談のせいでしょう。「ババサレ」という80年代前半に広まった都市伝説です。

夜中、家の戸か窓を叩く音がする。まるで誰かが中に入れてほしがっているように。不審に思っているうち次は「入れてー」と家族や友人そっくりの声が聞こえてくる。なんだ〇〇さんか。そう思って戸や窓を開けると。

死んでしまうのだそうです。

なぜ死ぬのかはわかりません。私がババサレを知ったのは8歳の時。姉が持っていた漫画本『ほんとにあった怖い話』5巻を読んだからです。そこには「戸を開けてしまうと死んでしまうということです」とだけ書いてありました。それが嫌なら、戸や窓を開ける前に「ババサレ!」と叫ばなくてはならない。

外にいるのは老婆の霊なので「婆去れ」の呪文で退散させられるからだそうです。漫画の中の体験談でも2階の窓が叩かれ、その向こうに人影らしきものを見た体験者が「ババサレ!」と叫ぶことで助かっています。

8歳の私はこの話をひどく怖がりました。それから数年間、家で一人きりの時は必ず窓を閉めきり、外に向かって「ババサレ」と唱えていたほどです。ただ不思議と玄関や戸には同じ恐怖を感じませんでした。最初に知ったのが窓についての話だったからでしょうか。

大人になってから怪談や都市伝説を調べる仕事につき、ババサレにも様々なパターンがあることを知りました。中でも戸や窓を開けると鎌を持った老婆が襲いかかってくるという話が主流だったようです。でもそちらのほうが全然怖くないな、と私は思いました。

だってそれはジェイソンのような、武器を持った怪物に襲われる恐怖です。アクション映画さながら、逃げるか闘うかの選択肢がまず浮かびます。またこのパターンの場合、うっかり戸や窓を開けて老婆が入ってきた後でも「ババサレ」と3回唱えれば撃退できるのです。つまり冷静に対処すれば勝ててしまう。

それよりもなんの説明もなく、窓を開けてしまったらなぜか「死んでしまう」ほうが、なす術(すべ)もない不条理で突然の死のほうが、よほど怖いじゃないですか。もし先述のパターンを最初に知っていたら、幼い私もそれほどババサレを怖れなかったと思います。

……いや。そうではないのでしょう。

これも大人になり気づきましたが、私の恐怖の根本はまた別にあったのです。ババサレ自体ではなく「窓の外にくる女」。本当に私が怖れていたものは、それだったのです。

怪談の専門家としての私は「赤い女」というテーマをずっと追い続けています。それは現代怪談──都市伝説でも実話の体験談でも──でよく語られる女。赤い服を着ているか血まみれで赤く、しばしば背丈が異様に大きく、そして2階以上の窓の外に現れるか、高い窓を覗いているところを目撃する話が多い。

2019~20年にかけてネットで語られた「窓から首ヒョコヒョコ女」もその亜種でしょう。窓からこちらを覗き込み「ずっと見てないと入ってくる」女。私の出身地の八王子市、それも西八王子の浅川近辺によく出没するというローカル色を面白く感じました。

そこで私が取材調査を重ねたところ、ある話を聞きました。80年代、浅川近くの公営団地の2階で、見知らぬ女に窓から中を覗かれたとの体験談です。これだけなら些細な怪談ですが、私は個人的にひどく戦慄しました。なぜならその団地のその号棟は、まさに私が赤ん坊の時に住んでいた建物だったからです。

まだ乳児であり記憶も残っていない時に、私は窓からその女に覗き見られていたのではないか?だから私は窓の外のババサレに怯え、窓を怖がるようになったのではないか?

偶然はまだあります。『ほんとにあった怖い話』に「ババサレ」の体験談を投稿したのは「埼玉県 茂手木裕美さん」。茂手木さんはまた「夏の体育館」という赤いワンピースの女が夜の体育館にいた体験談を投稿してもいます。

「夏の体育館」は鶴田法男監督によってビデオ化され、背が高く奇妙な動きをする赤い女が描かれました。その映像描写は後に、黒沢清などのJホラー表現に影響を与えています。それら映像作品の影響で、現代怪談にも赤い女が頻出するのかと思われます。

すべて繋がっているのです。幼少期より窓を恐怖する私が、今では赤い女の怪談を聞き集めている。赤い女は私が生まれてからずっと、窓ごしに私を覗き続けているのでしょう。

そんな彼女のために、私はいつか窓を開けるべきなのかもしれません。

窓

これを読んで、怖くなった

『ほんとにあった怖い話5』著:小林一生ほか
『ほんとにあった怖い話5』
著:小林一生ほか/1989年/ハロウィン少女コミック館/読者の怖い体験談を漫画化したオムニバス。「ババサレ」にまつわる話は、「婆 去れ!」(画・田中夕子)として掲載。そのほかには「ひとりぼっちの少女」「二階がこわい」「AM1:00の老人」などが収録。