変わり続ける風に臆さず、舵を取り続ける
アイドルグループのマネジメントにしても、確固たる戦略ややり方があるのではなくて、大事なのは、その時々の“風”に合わせて舵を切りながら、当たり前の日常をどれだけ積み重ねられるかだと思うんです。アイドルというシステムだって、どこかで必ず時代が変わって壊れていく。AKB48の18年も、続いているというと安定して聞こえますが、メンバーの中でも、運や縁を紡いでスターになっていく子もいれば、いい思い出として終わってしまう子もいる。
2011年にAKB48の公式ライバルとしてプロデュースした乃木坂46は、AKB48の泥くささに対して、もう少しソフィスティケートされた、女の子が応援できるグループとして誕生した公式ライバルでした。
だから世間的にはAKB48と比較されて、「乃木坂の今年のツアー、神宮球場4DAYSってすごいですね」とか「昔はAKBだったのにね」という人もいるでしょうが、もしかしたらこの先、AKB48が逆転するかもしれないし、乃木坂46がダメになるかもしれない。さらに乃木坂46の公式ライバルの僕が見たかった青空が人気になって、5年後に神宮球場で4DAYSをやるかもしれない。それも、こうしたい、こうしよう、という設計よりも、“今日はこうすべきだ”と、その日ごと変わる風に、どう対応するかに左右されていると思います。
多くの人は毎回、臨機応変に考えていくことを面倒に思う。その日の風に合わせて舵を切るのをみんな嫌がるんです。それは自分の判断で決断していくことで責任が生じるのがツラいんですよね。けれど、結果的にですが、実はそれが一番長続きする継続の方法なのだと僕は思っています。あそこで舵を取っていたことが、今になって考えてみれば良かったと感じることは多いですね。
甲子園をするような“ガチの面白さ”
エンターテインメントというのは、ドラマでも映画でも、この先こうなるということが決まっていると楽しくありません。1985年から地上波で『夕やけニャンニャン』を放送した時も、関東ローカルで予算も少ない夕方の時間帯という決して条件がいいとは言えないスタートの中で、生放送でゲリラ的な作り方をすることで、まるで秘密基地のような面白さを作り出せた。
おそらくそれと同じようにAKB48も、限られた予算で秋葉原の小さな劇場からスタートしたからこそウケた。ある種ファンとの共犯意識を育て、神秘性やカリスマ性を引き出せたと思います。
当初のAKB48は、誰も期待していない野球部が甲子園を目指している新設の高校のようでした。先輩もいなければ、野球もやったことがなかったメンバーを、常連のファンたちが応援してくれて、少しずつ人気を手にしていくというストーリーですよね。だから余興じゃないけれども、ファンを飽きさせないために、次々と選抜総選挙のようなイベントもした。
実際はセンターを決めるたびに「あの子の方が良かった」と言われたのですね。それなら、いっそみんなで決めようと。単純ですが、それが野球チームで言う夢のオールスターをファンに選抜してもらうという、AKB48の“ガチの面白さ”につながった。
予定調和でない面白さというのは、人気を支えていたセンターが卒業したりする危機的な状況でも生まれるもので、例えば、前田敦子が卒業したら、その不在にみんなポスト前田敦子を探しますよね。でも、必ず想像していなかった違うタイプの子が出てくる。そうやって世代交代するということは、逆に言えば“立ち止まらない”ということなんです。
学校を模しているAKB48の最終ゴールはここではないんですね。ここを卒業して、プロダクションに所属するなりして頑張る、という流れがあるから、前田敦子や大島優子たちがいた黄金時代を守らなければならないという、後輩たちのプレッシャーは大きいでしょうね。昔と比較してAKB48も勢いがなくなったとか、乃木坂46に超えられたと言われるけれども、僕が全然焦ってもいないのは、たとえ強豪校であっても毎年優勝するわけでもなく、ここから先の10年何もなくても、その間に何かが育成されるかもしれないという可能性があるからなんです。
マネジメントとは、テクニックより哲学
僕らのチームはすべて“自分がこうなりたい”ということと、“我々がこういうことを望んでいる”ということとの折り合いが、フリーのエージェントのような関係の契約になっています。だから僕は、AKB48に恋愛禁止なんて明言したことはありませんし、もしスキャンダルが出た子の人気が落ちて握手会にファンが並ばなくなったりするのを見て思うところがあるなら、どうするかは自分が決めればいいと思うんですよね。
僕自身は直接的なマネジメントはしていませんが、これだけは、という最低限のルールもないはずです。おそらく韓国のK−POPグループの場合だと、ダンスや歌のクオリティが一定のレベルに保たれることが望まれているから、本当に厳しい世界だと思いますね。日本やそれこそAKB48の場合は“あなたにはここを頑張ってほしい”というのが、100人いれば100通り違っていいという土壌がある気がします。
AKB48もこの先、全員が歌手や女優やテレビタレントになれるわけではなく、もしかしたら政治家や作詞家になったり、アートで成功する卒業生が現れるかもしれない。僕がプロデュースしているアイドルグループというのは、そういうことが可能な、最低限のマナーや団体生活、大人との対峙の仕方を、先輩と後輩とが助け合いながら学べるようなチームではあると思います。
グループにいた期間が5年でも10年でも、時に苦しい現場で培ったことや、知り合ったメディアの人たちとのコミュニケーションを経てのセカンドステージで、決して無駄ではない体験としてのキャリアを生かせればいい。
人間って、やりたければやるし、やりたくなければやらないですよね。マネジメントにしても、やってもらおうといくら説得したって、やりたくないものは無理なんですよ。それをカバーするのは単純にギャラの高さなどのモチベーションになってしまう。
ただ、僕がマネジメントする側だとしたら“自分ならどうしたら動くか”というのは考えるでしょうね。それでも結局ね、テクニックというよりは、哲学になる。
例えば、隊員を100人乗せた船が転覆しそうになった時、どのように船を動かそうとする船頭であるのか。自分は勝負をする時、誰に声をかけてどうやって作るかを48年間探してきました。人生でこの人すごいなという人に何人出会えるか、いかにして家来でない“犬と猿とキジ”を見つけられるか。それがマネジメントしない究極の組織作りだと思います。