人はみな、年をとって
ここ数年の小西康陽は、歌っている。時にはバンドを従えて、時にはギターの弾き語りで。2020年にはライブ盤『前夜』も発表した。なぜ小西康陽は今、歌うのか。

1972年に親がニール・ヤングの『ハーヴェスト』というレコードを買ってきて、その年に僕もギターが弾けるようになって。自作自演のシンガーソングライターに憧れて音楽に入っていったから、本当はきっと僕も歌いたかったんですよね。でも、大学時代にサークルで初めてライブをやって、やったぜと思って家に帰ってテープを聴いたら、ひどくて。これは俺は歌っちゃいけないんだと思った。それからずっと歌ってこなかった。でも、人はみな年をとって、なんかね。いよいよ自分でも弾き語りをやってみようとなって、自分で歌える曲がたくさんあると気づいたときは嬉しかったですね」
ピチカート・ファイヴの解散後にファンに出会うと、「詞が良かった」と言われることが多かったという。自身の意識も変わった。
「昔は本当に作曲とサウンドのことしか考えなかったけど、今はライブのサウンドチェックでも歌詞が聞こえているかどうかしか聴いていなくて。昔、RCサクセションのベスト盤に、(忌野)清志郎さんが自分で解説しながら書いているライナーがあって、それを読んでいたら、やっぱり残るバンドは詞がいいんだよなと思った。ブルーハーツも、電気グルーヴもそうだよなって。はっぴいえんども細野(晴臣)さんが自分でお書きになった詞の方が好きだとご本人にも言っていたし」

小西の歌は特別だ。単なるセルフカバーではなく、ピチカート・ファイヴからも地続きの自身の表現になっている。何より、聴いていて恥ずかしくならないのがいい。
「それが一番言われたかったことかもしれない(笑)。音楽の取材でこういうふうに言われる人も、なかなかいないだろうけど」
昨年、丸の内コットンクラブで行ったライブと同じバンドと編曲で録音。「東京は夜の七時」「衛星中継」「悲しい歌」「陽の当たる大通り」「眠そうな二人」など全15曲を収録。