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崎山蒼志「やさしさとは何か」という問いに向き合う

やさしさに正解はなく、それぞれが自分なりの答えを育てていく。しかし、時に他人の考えを知ることは、自分の中の“やさしさ”を再発見し、進化させる契機にもなる。崎山蒼志が考えるやさしさの定義とは。

Photo: Shota Matsumoto / Text: Emi Fukushima

「受け取ると心が軽くなるもの。もらった分だけ返していきたい」

“優しさってなんだろうね 夜中に考えてもわからないね 形を探して無駄を食べ合って はしゃぐ うるさい街の 静かなこの部屋で”。2年前、自らの楽曲「泡みたく輝いて」の冒頭でこう歌ったのは、ミュージシャンの崎山蒼志さん。心を刺すような繊細な歌詞と音楽性で、高校1年生にして瞬く間に注目を集めた彼は日頃、折に触れて「やさしさとは何か」という問いに向き合っている。

「人にやさしくしてもらったことって、なぜかいつまでも記憶に残っているんです。特に今年、上京して一人暮らしを始めてからは、両親のありがたみを日々痛感しています。近所のお弁当屋のおばあちゃんが、笑顔で声をかけてくれたり、この間、鍵をなくした時に、通りすがりの人が助けてくれたり(笑)。温かい心遣いが目に留まるようになりました。もちろん仕事でも、スタッフの皆さんが僕の意思を尊重してくださったりすると嬉しくなります。ささやかだけど幸せな記憶があるから、いまの自分が穏やかでいられる。ここ1年くらいは、やさしさって時間を経ると熟成するというか、高まってくることがわかってきました」

両親の影響で、4歳でギターを手にし、小学6年生から曲作りを始めた崎山さんはもともと、太宰治や中村文則などの文学にも影響を受けるなど、閉塞感や堕落的な世界観に惹かれてきた。それが、社会や自身の環境変化が目まぐるしいこの1、2年の間で、自ずと希望や温かさを感じるものにも意識が向いてきたのだという。

「SNS上で過激な言葉が行き交い、窮屈さを感じたり、何かと心が疲弊したりするいまの時勢に少なからず影響を受けていると思います。自分も社会も、やさしさを求めているというか。もともと抱えている鬱屈や虚無感を変わらず描きながらも、少しだけ出口が見えて、光が差し込んでいるような曲を作りたくなってきました。それはもちろん、聴き手の存在を意識するようになったことも関係していると思います」

崎山蒼志の”やさしさ”論

その心境の変化により、幼い頃から慣れ親しんできた音楽についても、そこに込められたささやかなやさしさを見つけるようになった。

「例えば、母が好きで昔からよく聴いていた大貫妙子さんの『色彩都市』。少女のように純粋な“わたし”と“あなた”が、2人の世界でお互いを思い合っている歌詞だと思っていました。でも最近は、最後の“いつでも心は 雨のち晴れ はつらつ便りを 待っています”という部分で、急に僕たち聴き手に涼やかなやさしさを向けられていると感じるようになったんです。勝手な解釈ですが、見放されていないんだなというか、救いのようにも感じます。ほかにも最近では、藤井風さんの楽曲からも、スケールの大きな愛を受け取ります。『帰ろう』という曲のサビに出てくる“与えられるものこそ 与えられたもの”という部分に共感しました」

そして彼のやさしさ観は、もちろん私生活からも形作られている。自らの18歳という年齢を、「大人と子供の間」と表現する彼は、10代の多感な時期の最中にいるからこそ、人一倍相手のことを気遣う。

「中学生の頃ってみんな、繊細で尖っていますよね。切磋琢磨する気持ちゆえにだとは思いますが、周囲のクラスメートたちがポンポンと口にする残酷なことに、それなりに傷ついてきて。それがまだ近い記憶として鮮明に頭に残っているので、面と向かう相手には嫌な思いをさせないようにしたいと思っています」

そして崎山さんは今年、楽曲「嘘じゃない」で、こう歌った。“息をして触れてきた優しさが いつの日か 蓄えた優しさになる”。2年前と比べて、彼が少しだけはっきりとした輪郭でやさしさを捉えているさまが窺える。

「受け取ると心が軽くなる。そして伝染し、蓄えられていくものなんじゃないかなと思います。これまでもらったやさしさを、日々の暮らしや音楽を通じて出会う方々に少しずつ返していきたいです。でもいまも、正解はわからない。やっぱりやさしさって難しいですね(笑)」