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三島由紀夫、谷崎潤一郎、太宰治。3人の文豪が愛した “保養地洋菓子”

西洋からもたらされた技術をもとに、独自の進化を遂げ、日本人の生活に深く根づいた洋菓子の世界。それは激動の昭和の時代ともリンクする。老舗から名シェフ、幻の一品まで、新旧の“ちょっといい話”をセレクト。

Photo: Akiko Mizuno / Illustration: Hattaro Shinano / Text&edit: Yoko Fujimori

例えば東京なら文京区をはじめ、かつて文豪たちが多く暮らした街には今も作家ゆかりの菓子店が残る。

その足跡は彼らが一夏を過ごし、または晩年に終の住処として選んだ都内近郊の保養地でも辿ることができる。特に伊豆半島エリアでは、当時ハイカラだった洋菓子のエピソードが多く残っている。

例えば無類の美食家として知られた谷崎潤一郎。1950年代、熱海の伊豆山に転居後は、おやつの時間に〈モンブラン〉や〈三木製菓〉のお菓子を愛用したという。

若き日の太宰治は、三島で一夏を過ごし、コーヒーを飲みに〈ララ洋菓子店〉へ足繁く通った。そして下田の〈日新堂菓子店〉のマドレーヌは、毎夏この地を訪れた三島由紀夫がことさらお気に入りだった味。

高度成長期に日本随一の保養地として栄えた伊豆で、目利きの文豪に見初められた洋菓子たち。戦後の昭和を物語る一片だ。

三島由紀夫が愛した
〈日新堂菓子店〉のマドレーヌ

谷崎潤一郎が愛した
〈モンブラン〉のモカロールと、
〈三木製菓〉のネコの舌

太宰治が愛した
〈ララ洋菓子店〉のベビーシュー