澤村伊智、斜線堂有紀ら作家が告白する、本当に怖い小説
断片的な情報の集積から仄見える異様な真相(らしきもの)が怖い
「氷の時計」
著:田中小実昌/1967年/『幻の女 ミステリ短篇傑作選』(編:日下三蔵)収録
崖崩れ、見つからない男の死体と夢の話から、不穏と不思議が立ち上がる。
「本当のホラーとは」といった議論をしたくないから実作しているところがあるので、その辺りについては語らない。本作は二人の男性が友人の失踪について推理を戦わせるうち、意外な事実が発覚し——という、今の言葉ならホラーミステリと呼べる短編だ。真相は明示されず、登場人物が真相を想像し恐れる様が簡潔に描かれる。その暗示的記述が恐ろしかった。(澤村伊智)
いつも通る「道」が怖い
『悪夢喰らい』
著:夢枕獏/1984年
「鬼走り」「ことろの首」「四畳半漂流記」など、怪奇幻想を主軸に猥雑さと土着の残虐性を湛えた9編(電子版は7編)を収めた短編集。
血生臭いエログロ怪異の短編集。多くの物語が日常の鬱屈から始まり、淡々とあるいは悶々と進む「道」が陰惨境へと繋がる。ジョギングコース、飲み会の帰り道、険しい登山道、そして死出の路などの先に身の毛もよだつ恐怖があり、読後は見慣れた「いつもの道」を歩くことに怖気を感じてしまう。と同時に、むごさの中に陶酔を感じ始める自分自身が怖くなる一冊。(篠たまき)
不意に暗転する日常が怖い
『邪眼』
著:ジョイス・キャロル・オーツ/2013年/訳:栩木玲子
男の家には、最初の妻が残していったガラス細工のお守りが飾られていた。表題作ほか3編を収める。
日常の延長線上にある理不尽が一番怖い。別に何か悪いことをしたわけではないのに、不用意なことをしたわけでもないのに、転げ落ちていくのが一番怖い。表題作は特に一転する日常の恐怖を生々しく描いていて、気づいた時には自分が恐怖を構成する一パーツでしかなくなっていることに、震えるのだ。(斜線堂有紀)
日常で起こりうる絶望的状況が怖い
「五月の陥穽」
著:福澤徹三/2009年/『再生 角川ホラー文庫ベストセレクション』(編:朝宮運河)収録
屋上で昼飯を食べていた男の体が不意の浮揚と落下にさらされる。
この短編には、怪異も幽霊も出てこない。だからこそ怖い。主人公の会社員は、職場のビルにある屋上で一人過ごしていたが、意図せず隣のビルとの狭い隙間にはさまってしまう。助かりそうなのに助からない焦り、足掻(あが)くほどに状況が悪化していく絶望感が描かれる。こんなことが我が身に起こったら——とつい考えそうな、日常に潜む恐怖に震えさせられる一作である。(北沢 陶)